元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

みんなでウォークマンという退行

「世代間」の話

仕事で薄い関係のヒトたちと打ちあわせ後、同じ電車に乗ったりします。そういうときは特に話すこともないので、すぐさまウォークマンをかけたりするヒトがいますね。

かつてはそういう行為は相当無礼だったような気がしますが。。今は許容されています。

私も、そこまで潔くはないですが、そういう場で一応ありきたりのトークをしてみて、でもこれ以上会話を楽しめそうにないなあ、というときは、「バリア」の意味で本を広げたりします。ウォークマンも本も同じですね、拒絶という意味では。。

そういえば、一緒に電車に乗って、あえて別々の席に座ったりしますね。。
あれは、なんなんだろう。「プライバシーの尊重」?

誰か、ムードメイカーを待ってるような雰囲気なんですよね、自分はゼッタイそうはならないクセに。。

自分は実はムカシはムードメイカー側だったのですが(これでも)、馬鹿らしいのでやめてしまったクチです。


そう、それで思ったのは、その光景というのが幼稚園年少組くらいのコドモたちの「平行遊び」と、そっくりなのです。

幼稚園に入りたての子たちは、最初、砂場とか園庭とかで、独りで遊んでいます。次のステップとして、狭いエリアに複数人で自然に固まってくるのですが、それぞれ別なことをして遊ぶ、という状態になります。それが「平行遊び」です。
それを過ぎれば、「みんなで遊ぶ」のステップは目の前です。「みんなで遊ぶ」ほうが楽しいんだ!ということがわかれば、コドモは貪欲ですので楽しいほうへ流れます。

そしてやがて、独りで遊びたいときは独りで遊び、誰かと騒ぎたいときはどこかの仲間に入る、という柔軟性を持てるようになります。

今のサラリーマンって退行していませんかね? 「平行遊び」の頃に。。
自分もそうなのかもしれませんが。。「しがらみ」を離れてより、「苦がない」方向に向かっているとでもいいましょうか。それが許される世の中になってきたといいますか。

苦がない方向に向かうのはよいが、「楽」に逃げるのはよくない、というのが自分のスタンスのようです。