結果階級社会
こうありたいまたは反面教師
- 階級社会
自分のココロに正直に考えれば、自分は「階級社会」を望んでいるフシは、ありますね。
「結果の階級」ですね。生まれつきではなくて。
結果平等社会の行き過ぎはよくないと思います。高額納税者と脱税者が同じ公共インフラを同じレベルで使えるのはオカしいと思います。
そして私自身は、公共インフラが納税によってサービスに差がつくのであれば、もし高額納税者が自分より快適なサービスを受けている状況をまざまざと見せ付けられても、許容すると思います。
それが、生きてゆくモチベーションにもなりますし。
ポイントを蓄積していってある段階まで納税したら、「殿堂入り」にすればいいと思うのですよね。そのレベルまで達したらもう、堕ちることはないという。
それが、努力の末に得た「貴族化」ですね。
不正がないような監視は絶対に必要ですが、そういうシステムはホントに実現させるときに考えればいいハナシであって(現段階では冗談話にすぎませんし。。)
国は何をするか、というと、納められた税金によって、最低限度の生活水準をコントロールできる仕組みを構築すればよいと思います。社会が成熟しているといわれているのですから、それぐらいはできるでしょう。
つまり、この国の最低限度の生活が、裕福すぎても人間が怠惰になってしまいますし、カツカツすぎてもダメです。
不遇なヒトたちも、社会福祉生活により(莫大な税金を使って)最低限度の生活を営めるようになれば、その生活維持のために税金を払っている高額納税者に感謝ぐらいはするでしょう。
いや、そういう、感謝させる仕組みをつくらないとなりませんね。
税金の使い道の透明化、自分が払う税金の使い道の自由化が必要。
再録
「やればできる」というのはウラを返すと相当なキケン思想だと思いますね。
「やればできる」と思い込んで何もやらないヒトがいかに多いことか。
ほとんどの人間は「やればできる」のであって、重要なのは「やり始める」ことです。
なぜやり始めないかといえば、実際、モノゴトをやり始めると停滞したり、失敗することが多いわけですから、それにより自分のプライドが傷つけられるのがコワいわけです。
そもそも「勇気」がないんですよ。
だから、対外的に「アイツはやればできるのに」という評価にとどめておいたほうが、都合がいいのです。
「思い立ったが吉日」という格言(?)は、確かに間違ってはいません。ですが、ただ闇雲に走り始めると失敗します。
「アイツはやればできるのに」という評価から「やり始める」ことにより一歩を踏み出し、さらに対外的にインテリジェンスを感じさせられるかどうかは、最初の勢いにプラスして「計画」というエッセンスを盛り込めるかどうかにかかっています。
「やればできる」から一歩も動き出せないヒトは、まずは、動かなくともかまわないので、計画を練ったらどうでしょうか。
ぼけーっと動かないのと、ぼけーっとしているように見せかけて実はアタマの中ではいろいろ計画を練っているというのでは全然その後の人生が変わってきます。
「やりはじめる」だけでも「やればできる」から一歩も動き出せないヒトよりはまだマシですが、本当に重要なのは愚直に続けることです。
続けるためにはゼッタイに計画が必要なのです。