元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「ココロのセマいヒト」の話の続き 依存関係 雨ニモ負ケル

本来の日記部分

  • 体調

若干鼻水が残るが、復調。

  • 仕事

仕事上の話で、かすかに腹立たしいメールを投げてくるヒトがいます。
あからさまな暴言ではないのですが、巧妙に丁寧語で自分を否定してくるような。そして自分の意見を押し付けようとするような。

今が「旬」の宮崎県に行き、東国原知事に動向していろいろ話をしました。
それと、宮崎市(?)の駅前を車で流したりしたのですが、自分の田舎の駅前と似てるな〜、と感じました。

(あくまで夢です)

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 「ココロのセマいヒト」の話の続き

本質的に「ココロがセマくない人」が、本質的に「ココロのセマい人」に「あなたは(も)ココロがセマいヒトですね。。」と言われたくないがために頑張らざるを得ないという状況。。

とても馬鹿らしいですね。

「ココロがセマくない人」が、馬鹿らしいからという理由で「ココロのセマい人」をムシしたり、助けなかったりすると、「ココロのセマい人」に「ココロがセマい!」と言われる。
「オマエにだけは言われたくないよ!」と。

99回、ココロがヒロい行動をしているのに、1回のネガティブな行動によりココロが「ヒロい」=>「セマい」ヒトへ、評価が急転換してしまう。

これ、とても馬鹿らしいですね。

ムカシ書いたかもしれませんが、普段ムスっとしているヒトが、それが「常態」で、「たまに見せる笑顔がカワいい」とか言う評価を得るのが心から腹立たしいです。

なぜならば、逆のヒトがあまりにも理不尽で、かわいそうだからです。
普段から笑顔で頑張っているヒトが、たまに暗い表情を見せたり、たまたまキツいコトバを吐いたりするだけで、「表と裏の落差が激しい」とかいわれてしまう世の中です。

「普段から笑顔で頑張っているヒト」は、嫉妬羨望の感情を持ったヒトたちに常に「評価転換」を狙われているのです。

でもこれじゃあ、この世は、ふだん「ムスっと」してる人間で溢れかえりますよね。


この話は、具体的例をあげて、もう少し書きたいですね。

  • 依存関係

ヒトとヒトは助け合わなければいけない、なんていうのは、わかりきったことです。

でもホントに、常に、いつでも助け合わなければならないのでしょうか?
「常態」においてはヒトとヒトの接点は「助け合う」ではないのではないか?
「常態」でも助け合う必要があるなんて、それは、単なる依存関係ではないのか?

真に必要なのは「協力」ではないか?
いや、「常態」においては「協力」すら必要ないのではないか?

自分でできることは自分でやる。「常態」においては、自分(あるいは、家族単位)ではどうしようもない事態というのは滅多に発生しないでしょう。

結局何がいいたいかというと、自分を常に律していないと、「常態」でも依存関係をヒトは求めてしまう、ということです。
つまり、「楽したい。。」ということですね。

という意味では、そのヒトが自分を律しているかいないか、というのは、すぐわかりますね。
自分がやれることでもなるべくやらない。それが効率的な生き方である、とでも考えているのでしょう。


ところで考え方を変えれば、依存しやすいヒトというのは、教養、インテリジェンスがないのだと思います。
ということはこの論法でいえば、自分を律していないとインテリジェンスがなくなる、ということ。
逆にいえば、自分を律しているヒトにはインテリジェンスを感じられる、ということ。

勢いにまかせて書いていますが。。 案外これは当たっているのでは?

なぜ、依存しやすいヒトが教養、インテリジェンスがないのかというと。。
まず、依存しやすいヒトというのは、自分で動きません。
これは、「論外」です。自分で行動を起こせない人間がインテリジェンスがあるわけがないのです。
「行動」とは必ずしも自分の身体を動かすだけではありません。「決断」でもかまいません。

それと、依存しやすいヒトとうのは、他人に頼みごとなどをするような状況が、将来的に起こりうるということを予測できない。
なぜならば、リスクを読めないから。なぜリスクを読めないかというと、基礎教養がないからですよ。

ムカシこの日記にも書いたかもしれませんが、社会では四則演算さえできれば十分、中学の勉強の知識だけで十分、と言われた時代がありましたが、これはゼッタイに間違っています。
(社会の最底辺で生きる覚悟があるのであれば別ですが)

生きてゆくのは、仕事でもプライベートでも、予測の連続です。予測の幅(「イマジネーション」とでもいったらいいのでしょうか)を広げるのが「基礎教養」なんですよ。それは、学生時代に習ったり体験したり、親から教わったりしたことがトータルでじわじわと効いてくるのです。

予測できているけれども自分では動かない(他人にやらせようとする)でも結果は同じです。そんな動きをとる人間はそもそもインテリジェンスがあるとは言いません。(脳みそのデキがよかろうが、関係ない)


。。ああ、これは、先日「再録」した山形浩生さんの引用からモロ影響を受けてますね。

  • 雨ニモ負ケル

誰かが先に起こした行動に対して、それを待ち構えたかのように文句を言う気満々の体質。。
つまり、先には行動を起こさないということです。

それはある意味、先駆者のツラさをだれよりもわかっているから、ともいえるでしょう。

そんなふうな人間にはなりたくないですね。
宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の逆バージョンはできそうですね。

「イツモニコニコワラッテイラレナイ」とか「モンクヲイワズニハオレナイ」とか。