元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「馬鹿らしい」と思う話ふたたびの4 自己責任

本来の日記部分

ここ数日はダメですね、せっかくの連休中なのに「怒り」の感情が支配してしまって。。
早く怒りのエッセンスを書き出してすっきりして、次のステップに進まなければ。。

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 「馬鹿らしい」と思う話ふたたびの4
    • 恵まれているということ

「馬鹿馬鹿しい」話のゆるやかな続きで、継続できるヒト、努力できるヒトを引きずりおろそうとする「一大勢力」(政治家に「愚民」とバカにされている層 また、政治家にバカにされていることに気付かない)の特色について。。
そういうヒトたちは、自分がどれぐらい恵まれた環境におかれているか、ということに対して想像力をはたらかせることができなくなっているのではないか? と考えたりしています。

最近は、何らかの「配慮」の力がはたらいているのか、「アジアアフリカの恵まれない子供たちの惨状をみよ!」的な言説もなくなってしまった感がありますし。。

かたくなにほっかむりできるわけです。自分が恵まれているということに対して「そんなことはないそんなことはないそんなことはない」と。
それを認めると自分の成長がなくなる、と考えているのでしょうか。いや、そういう殊勝な考えを持っているのであればまだマシですが。。 ただ単に、そういうヒトたちはマスコミにあおられて消費欲求が肥大化しているだけである、といえそうです。そういうヒトたちにとってみれば、恵まれている状態というのは消費欲求がひと段落している状況のことをあらわしています。
だだし、マスコミに洗脳されている状態では一生そのような境地に達することはできません。

我々はとっくに、必要最低限のものはそろっているのです。もうすでに、完全に、「恵まれた状況」になっているのです。ここから先の消費はもはや「浪費」なのです。
と、いうことに気付かない、気付こうとしないわけですね。いや、マスコミがそれに気付かせようとしないのです。日本人から消費欲求が消えたら企業体を維持できないからです。

しかし、日本人が消費欲求を失ったら、はたして日本は沈没するのでしょうか? 自分は、間違いなくしないと思います。ただ、専門家ではないのでその根拠がわからないのです。

    • 自己責任

その「そういうヒトたち」の話の続き。。
これほど自己責任が要求される世の中になってきているのに、それについてゆけない、自己責任を負いきれないヒトたちが増えています。「誰かが助けてくれる」どころか「誰かが助けてくれるのが当然」と信じて疑わないヒトたち。こういうヒトが「愚民」と呼ばれる。

そういうヒトたちは、結果、誰も助けてくれなかったときに、行動すら起こすことなく「なんで誰も助けてくれないんだ!」と逆ギレするのみでしょう。それでも頑なに動かないという。。

自己責任を負える一定層がいちばん危惧しているのは、こういった自己責任を負いきれないヒトたちの面倒をみなければならないのかよ、ということです。それでは、動かないもん勝ちになってしまいます。
(「『馬鹿らしい』と思う話」に戻ってきた。。)

こういうヒトたちを救済するのは(たとえ間接的であっても)ホントにイヤなので、「自己責任」の責任範囲をびしっと線引きして、その内側にこもっていたいものです。
そうでないと、善意の親切に喰らいつかれて「正直者がバカを見る」状況に陥ってゆき、ホネまでシャブられそうな気がするんですよね。

自己責任の域を出ないことでたとえ人でなしとよばれようが知ったことではありません。
自己責任を負えない(積極的に「負わない」)がゆえに窮地に立っている人間を救済する義務はありません。それはまさに「自業自得」ですから。
そのときどきの時勢に乗り切れないヒトたちは淘汰されて当然なのではないですか。

ホントに事情があるヒトたちに対する救済措置は政府、自治体がやってくれます。だから、自己責任を負うつもりがないヒトたちは自治体や政府に媚をうっておいたほうがよいのではないでしょうか。