朝について いじめ問題
本来の日記部分
朝は「自分に甘い時間」という感じがしますね。。 トイレに行きたくなったらすぐ行くし、小腹がすいたらおやつを食べる。何か思いついたらすぐテキストエディタにメモする。やりたくないことはやらない。テレビの音などに思考をジャマされず、無音を楽しめる。
こういう時間帯にアイディアが浮かぶものなのだろうなあ、と思います。
港区の白金小のいじめ問題がクローズアップされていますが。。
自分もいじめ問題には敏感に反応してしまうのですが、最近思いますのは、「加害者の親のマニュアルもあるんだろうなあ」ということです。
うかつに自分の子供の罪を認めてしまうと、エラいことになる、という風潮があるのではないでしょうか。そのあたりはオトナの世界の介入を感じます。車がぶつかったときに「絶対に謝らないほうがいい」という共通観念がすでに確立されてしまったように。
いじめた側の親は、たとえ自分の子供が誰かを継続的にいじめたことを確信しても、「ウチの子がやりました」とはいわないだろうし、コドモにも「絶対に謝るな」と言うのでしょうね。。
コドモ同士で閉じた世界だったら、「ごめんね」と謝って一件落着、というシチュエーションもあるのでしょうが。。
mixiにもばーっと殴り書きしてしまったのですが、いじめ問題といいますのは、「一部の」民度の低い先生と「一部の」民度の低い保護者の問題のような気がしてならないんですよね。。
教室内に悪玉がいるように、職員室にも悪玉はいるし、PTAにもいる。それらの悪玉が半ば奇跡的に融合を起こしたときに、いじめという問題が発生する、と。。 もっと具体的にいえるといいのですが。。
小学校であれば最長でも6年で人が入れ替わります。先生も、それほど長くはないでしょう。だから、生徒、先生、親それぞれの悪玉が融合するときもあるだろうし、しないときもあるでしょう。融合してしまったときの他の親、生徒、先生はたまったものではありませんね。それこそ運なのでしょうか。
だから、運任せにしないでその「一部の」人たちができるだけ少ない環境、具体的にはっきりいってしまえば名門の私立とか、そういうところにある程度のお金を出してコドモを預けたい、というのは、理解できます。当然の行動でしょう。
そういえば白金小は「名門の公立」でしたね。。
- 体調
鼻声になってきました。この気温の変化にやられているのでしょうか。