元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ゲームやテレビが害になるホントウの理由


[再録]ゲームやテレビが害になるホントウの理由|龍澤ヒデアキのバックドア

私は、他の大多数の親御さんと同様に、コドモにとってゲームや、テレビ、パソコン(ネット)などは害であるという考えを持っています。
また、塾については肯定派です。


コドモは、というよりも人間は、得意でかつ好きなこと、を一生やり続けることができれば、すごく幸せな人生だと思います。
それはほぼ不可能といってよいですが、それに近づけば近づくほどよりよい人生である、といえます。

好きなことが傍らにありさえすれば、人生におけるストレスは相殺してゆくことができます。そしてそのストレスというのは逃れられないものです。

一生、何を続けるかは、はっきりいってなんでもいいのです。典型的な、スポーツ、芸術の類でなくとも。
勉強の一教科でもよいです。

いわゆる「サブカルチャー」であっても、趣味を仕事にする、でもよいのです。
とにかくそれは、ヒトによって異なりますし、たとえば「サッカー」みたいな、わかりやすいモノ、概念ではないのかもしれません。


その得意なことというのは、できる限り早い時期から見つけてしまって、コドモのころから継続して続けるべきだと思っています。
得意で、かつ好きなことであるというのが絶対条件です。

そ して、見つける役割にあるのは、親です。コドモの感情は、ブレがありますし、興味はコロッコロ変わってゆきますので、コドモがホントウに得意なのは何か、 ホントウに楽しんでいるのは何か、そして、もっと分析的に、自分のコドモはどの分野でもっとも伸びてゆきそうか、というあたりを冷静に考え、それをコドモ に説明し、諭して、それを継続して行うよう、まず仕向ける必要があります。
意識をそこに仕向けることができて初めて、物理的なサポートについて考えればよいハナシで。

個々のコドモたちにはゼッタイに「得意なこと」あるいは「好きなこと(やっていて「楽しいなあ」と思えること)」があります。そのふたつが最初から一致していればよいですが、一致していないヒトもいます。

一致するようにコドモのうちから仕向けてゆくのも、親の重要な役回りです。


と、いうわけで、自分が「害」だと考えているゲームやテレビというのは、その継続を阻害するんですよね。時間を奪ってしまうのです。

ゲームやテレビによって「勉強をしなくなる」というのはほんの一面のことで、大したことではありません。
そのコドモの人生における時間、もっとも大事なことに割かなければならない時間を、じわじわと奪ってゆくのが問題なのですね。

そして、「ゲームをする」や「テレビを見る」ことがそのコドモの一生の生業になる可能性は、極めて低い。(個人的にはゼロだと考えています)

さらにいうと、仮にゲーム業界に入りたい、テレビ業界に入りたい、という目標を、いろいろ検討を加えた結果定めるのとするならば、それにどっぷりの、視野の狭い人間になってしまったら就職はできません。

就職活動において、ものすごく貴社のゲームに詳しくなりました、とか、貴社のテレビ番組全部知ってます、とか。。
それじゃ単なるオタクですし、オタクは採用されません。(きっぱり)
鉄研で、車掌さんにあこがれて完コピできるのだとしても採用されません。

そういうインドアな業界は、典型的な「生徒会長」だったり「スポーツマン」だったり、そういった、オタクとはかけ離れた経歴を求めるものです。
そしてもちろん、学歴も。世の中、未だにゆるやかな学歴社会であることを忘れてはなりませんん。

そこで塾の肯定につながる。塾は、その子を良き「学歴」に導いてくれる可能性があります。過剰な期待をしてはなりませんが、塾に通うほうが、ほんのわずかであっても可能性が高まるかもしれないのです。

それが、結果的に自分がやりたいことを続けるためのサポートになるかもしれないのです。
そこまでトータルに人生を考えなければなりません。

何かしら、おカネにならない、おカネが出てゆくだけのような、趣味的なことを一生続けてゆくのであれば、それをサポートするような、おカネを稼ぐ手段を考えなければならない。
「稼ぐ」というのは大げさかもしれませんが、極端にいえば「公務員になる」でもいいわけですよね。(いや、それが最善の手法かもしれない。。)
公務員であれば大卒は必須です。


ちょっと、ハナシがそれてきたような気もしますが。。

何かを、一生続けていこう、と考えたときには、何をもって生計をたてるか、というプランも、計画に含まれてくるのです。だから、大人(親)も一緒に考えてゆかなければならないのです。

コドモの一生は親にとっても一大事です。将来、コドモに食わせてもらうかもしれないのですから。

親は、コドモにカネ持ちになってくれとはほとんど思いません。でも、何かひとつのことに打ち込めて、それなりに食えている、という状態にコドモがなってくれれば、それは親にとってはものすごい喜びなのです。それを、目を細めて見ているだけでいいのですね。

親はコドモのためならだいたいのことを犠牲にできます。
コドモに、自分は○○を生業にして生きてゆくから、(それはおカネ儲けにはつながらないから)老後のサポートはできそうにない、と真剣に言われたならば、親は喜んでそれを受け入れますよね。「それは困る!」とは言わない。
「もちろん、オマエの迷惑にならないように年金で生きていくさ、心配すんな」と。。
でもそれはもしかしたら、コドモのために犠牲になっているのかもしれないのです。


何かを一生続ける、という訓練の意味で、テレビやゲーム、ネットの類にコドモの人生を埋没させない、そっち方面に逃げさせない、というのが大事になってきます。

別に、コドモは大自然で思い切り遊ばなければならない、などとはこれっぽっちもいっていないのです。
必要なのは、「コドモの時間を取り戻す」こと。