元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

力がつく、とは サボる前にまず

トピック

  • 人生、いたるところにトラップあり

たとえば、公衆電話から電話をしようとして財布からテレホンカードを出し、財布を自分のポケットにいちいち戻さずに電話機の上に乗せたままにし、そこで誰かに声をかけられると。。 忘れます。

電車に乗るために切符を買い、それを、ふだんあまり使わないポケットに入れてしまうと。。 紛失します。

こういう、日常生活に潜んでいるさまざまなトラップについて、「面倒くさがるとロクなことはない」、という安易な結論で終わらせてしまっていいのだろうか。。
もう少し法則性のようなものを探れないものでしょうか。

それにしても、易きに流れるのはよくないなあ、とは思います。



人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

このシリーズはなんといいますか、ひとつのトピックが大きなうねりになるというよりは、小ネタの積み重ねにしかなりえないのかも、などと弱気なことを考えています。。

その小ネタの中から、びしっと一本の考え方の「スジ」のようなものが浮かび上がってくればよいのですが。。

  • 時間について

時間管理については、この日記でも何度か書いていますが、もう少しまとめてみたいです。
「怒られないから遅刻してよい」とか、「重要な人と会うから遅れないようにしよう」とか、そういう考え方に常に違和感があり。。
決めた時間というのは、ことの重要性に関係なく、重要なものではないのか? と思うのですが。。

今、ほとんどのオトナの人は、プライベートでは「怒られないから遅刻してよい」と考えています。(特に、携帯電話の普及後)仕事でもそういう考え方が侵食してきています。
でも、子供の頃「怒られなかったら何をしてもいいのか」と怒られませんでしたか?
こういうところから、さらに上の世代から「モラルハザード」について突っ込まれてしまうのです。。

  • 力がつく、とは

人間として「力がつく」というのは、日々の積み重ねでしかないと最近思います。日々の積み重ねを容易にしてくれるのは「日課」として自分に課すことです。それが逆に自分を楽にしてくれる手段だということを、ほとんどの人は知らないようです。が、わかっている人は、わかっています。

非日常的な、瞬間的な「経験」の積み重ねは「力」になるとは限りません。「力にはならない」と断定はしませんが、何か違います。「楽しかったなあ」という想いは残るかもしれませんが、必ず不満足感がつきまとうものです。

  • サボる前に

結果を出す前から権利を主張したり、会社の組合に入ってサボタージュしたりするよりはまず、その集団で「できるヤツ」「ちょっとちがうヤツ」と思われたくはないのか? ということです。
自分は、仕事だろうがなんだろうが、とにかく「できるヤツ」と思われたい、舐められたくはない、と常にそういうモチベーションで生きてきたように思います。
が、その時々で、常にそんなに鼻息が荒かったか、というとそうでもないような気はするのですが。。
損得の前にまず「評判」というか。。 他人の評価は確かに、子供の頃から常に気にはしています。
自分を客観視するために、常に他人の評価は必要です。(あるいは、他人はこう思っているだろう、という推測含め)