元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

捺印してください、でもシャチハタはダメって  中間があってもいー

【活動】
赤坂2/六本木2あたり
【違和感】
印鑑の必要性についてはまだ認めますが、捺印してください、でもシャチハタはダメ、というのが非常に馬鹿らしいです。
スタンプ印が未だ軽視されている現状について、シャチハタさんは何か対応しているのでしょうか。

自分は、三文判で、スタンプ印のように手軽に捺印できる「スタンパー」(うまく説明できない。。)のようなものを使っていますが、会社か銀行か忘れましたが、それを見た人が、「それはシャチハタではないですよね?」と一瞬血相を変えていました。「オマエ、シャチハタじゃない三文判持ってこいっていったろ?」と言いたげな様子で。。

その労力というか、血相を変えるパワーが、馬鹿らしい。。

印鑑は誰でも押せてしまうために匿名であり、それが契約の悲劇を生むこともありますがそれでも世の中は印鑑をやめようとしません。これほど世間でセキュリティチェックがきびしくなっているにもかかわらず、です。重要な契約書などについても本人認証は必要でしょう。
かといって欧米のようなサイン文化にはならないと思うので、重要な捺印には「スタンプ印&サイン」がいいですね。

【雑感】
[中間があってもいーじゃん、という話]
YESかNOかとかAかBか、という回答を突然強要する質問は、相当失礼にあたるとおもいます。
ありがちすぎるほどありがちな例としては、「食事のとき好物は先に食べるか、後に食べるか」で、私の回答は「先に少したべて、最後に少し食べる」ですが、それに対して「先か後かしか選べないとしたら?」と追い討ちをかけてくる人がいます。
「そんなのわからない」というとそれでもあきらめず、「どちらかといえばどっちか」とあくまで二択にこだわります。

強制的にどちらかを選ばせてどうするのでしょうか。私が、二択しなかったら誰かに脅されるのでしょうか。
あるいはそれによって性格診断でもするのでしょうか。だとしたら、簡単な質問で性格を断定することも相当失礼だと思います。

その日の気分によって最初に食べてしまうこともあるでしょうし、最後まで残しておきたい日もあるでしょうし、行動というものはそんなに画一的に決められません。

「二択しかない質問をしてもよいか」と最初に聞いてほしいものです。

昔、ヒトの性善説性悪説を確認するという話で、教育を全く受けていない子供が、川でヒトがおぼれているのを見たときに、助けるか助けないか、ということを聞かれたことがあります。
先天的に助けようという行動を起こすヒトもそうでないヒトも、そっぽ向いているヒトもいるでしょう。「もともと性善か性悪か」にわけられるはずもありません。(もともと「ふつう」のヒトもたくさんいるでしょうし)

なので、それを説明した上で「よくわからない」という答えを返すと、「質問を聞いたとき、ぱっと思いついたのは どちらかといえばどちら寄りか」などとあくまでどちらかを選ばせようとするのでいろいろ反論していたら、最後には「別にいーじゃん、どっちか適当に答えとけば」と言われました。
そもそもこの質問自体が「別にいーじゃん」レベルの適当な話です。自分はそれに対して真面目に考えた結果として、二択できなかったということを伝えたのですが、相手は、そもそも真面目に考えることすら望んでいないという。。
今思い返すと、変わらないなあ、と思ってしまいます。当時は深く考えることもなく、理解ができなかったのですが、今考えてみれば、これも自分の性格の一環なのかなあ、と思ったりします。
私は、会話のキャッチボールを、人を選んであえてしないことがありますので。。「剛球を投げ返す」とか、「ヘタなふりをして後ろにそらす」とか。。

「真面目に考えることを望まれていない」というのは良いサジェスチョンだったと思います。たとえば「庶民」は、日本の財政の危機的状況について「真面目に考えることを望まれて」いません。結果、良いカモにされてしまいます。

これでは話が大きくなってゆきすぎなので話題を変えますが、日常会話が以前と比べて軽くなっているというのはあるかもしれません。
自分は「上滑りする言葉」という表現をしますが、日常会話はすべて上滑りしてゆき、じっくり考える人間はおいてゆかれるような気がします。また、相手にじっくり考えさせようという意図の言葉をぶつけることは敬遠されます。

でも自分は、上滑りしない言葉を蓄積して、日常会話でもなるべく使用すべきだと思いそれを実践していますし、このような日記をつけることは良い鍛錬であると思っています。
それが「個性」だと思います。

今日は話が良い方向に向かったような気がしますね。。