元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

その歳で本気でプロ野球選手になろうと思っているのですか?

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 計画と実践により願望を実現させていける、みたいなことを書くと、いい歳して「今からプロ野球選手になれるのか?なれるわけないだろぅ?」とドヤ顔で書き込んだり言ってきたりする人がいるので、一瞬世の中を憂いてみたりします(苦笑)。

 まともに取り合う話ではないと思いつつ…「計画と実践」を少しでも意識したことのある方(無意識であれば誰でもやってることですが)ならば、そういう言葉は出てこないはずなんですけどね… ある程度年齢を重ねているにも関わらずまったくそれを意識したことがないのはヤバいです。そういう方とはビジネスであまりお近づきになりたくない。なぜならば、そういう人の近くにいると負のスパイラルに巻き込まれて尻拭いをさせられてしまうからです。

 願望というのは強いのはもちろんのこと、少しは熟成させとかないと…

 つまり、「え?願望って願うとかなうの? じゃあ願望しちゃおっかなー」みたいな…まるで流れ星が流れ出してから願望を考え始める、みたいなね(笑)。

 あとありがちなのが、ただの妄想を願望と勘違いして、それを「少年の心(を持ち続ける)」と類似したものとして正当化する、みたいな…

 それを語り出すとまた長いので省略しますが(苦笑)。

 「かなうんだったら、望みを願います」という考え方は、とてもムシがいいものだ、というのは、わかっていただきたいです。願望ってもっと、ふつふつとわいてきて、どうにもこうにも止まらない…しかもそれがけっこう長く続く、みたいなものだと思うんですけど、つまり、かないそうかかなわなそうかという可能性で制御できるものじゃないんですよね。

 というか、若いときはかなわなそうな願いにみょうに燃えますよね(笑)。嗚呼、青春也!

 そして冷めるのも早いので(苦笑)、若い人の願望はしばらく放置して見極める必要はあるのですが…

 けっこう長い間、心にしまっている願望があるとして、それは、ただ手をこまねいているだけでは、かないません。ですが、しっかり計画して実践していけば、ぐっと願望に近づきます。

 ここまでは、何ら間違ったことはいってませんね(苦笑)。でも、世の中には、計画したって実践したって「どーせ」できないんだから、と、最初っから諦めている人が多数なんです。なぜ?そういう思考回路に落ち着いてしまったのだろう? と、私などは不思議に思います。

 そういうのはやはり育ってきた家庭環境や受けてきた学校教育に大きく関係してるんだろうな…と。

 計画して、実践すれば、未来は変わるんです。ざくっというと、とある願望が「かたちを変えてかなう」か、「(願望が)消えてなくなる」というケースが非常に多いです。

 後者はまったく別な、よりかなえたい目標が出現するということです。人間的に成長すると、願望もより壮大になったりしますね。

 もちろん、想像していたとおりにピンポイントでかなうこともありますし、願っても願ってもかなわないこともあります。

 でも、後者は別に悲観的結末じゃないと思っているのです。なぜなら、すでにその人の人生は動きだしはじめているので、もう大丈夫かと。本当に、ライフワークとしてその願いを思い続けるもよし(計画の修正は必要)、あるいはさくっとその願いを捨ててしまってもいいと思います。

 「どーせ」な人って、「計画」つまりPDCAサイクルにおける"Plan"が「ヘタ」なんですよね。Planすべきなのに妄想してるんです。計画が妄想ではいけません。

 ヘタなのであれば練習すればいいんです。練習すればうまくなるんです、必ず。しかもこれって人生における必須スキルに位置づけられるに違いないものなので、必ず練習すべきだと思います。

 具体的には、妄想から脱却するためにはアウトプットしてレビューをうけるべきなんです。「これこれこういうことを実現させたいと思っていて、そのためにまずとっかかりはこれをして、次はこれをして… と思うんだけど、どうだろう?」と。

 そして周りの意見を素直に聞くんです。それだけでいいのです。

※”Plan”のスキルをすでにある程度お持ちの方は逆で、他人に言わないほうがいいです。レビューアが必ず余計な(間違った)指摘をするので、それを鵜呑みにするとムダに遠回りすることになります

 でもそういう人ってトモダチがいなかったり、周りの人材に恵まれていなかったりするのかな…

 いや、違いますね。周りの人に意見を聞こう!という謙虚な気持ちがそもそもないんですね。だから、謙虚になること(最初は対外的なポーズでもかまいません)。そして勇気を出すこと。無用かつ高すぎるプライドをそっと脇においておくこと。

 あるいは、百歩譲って、人に教えを乞うのなぞゼッタイにイヤだ!というのであれば、仕方ないです。独学で"Plan"の手法を学べばいいと思うんですよね。教えてくださいと言えないのであればこっそり誰かのマネをするとか。

 あるいは図書館でそれ系の本を借りてきて読みふけるとか…(買うのがベストですが、人に教えを乞うのがキライな人は本に投資しないような気がするので)

 あぁ、書いていてわかったのですが、これは、PDCAサイクルとか実はあんまり関係なくて、ほとんどロジカルシンキングのクセをつければいいだけだと思います。なので、それ系の本を集中して読むといいのではないでしょうか。

 また、多くの方はビジネスでそれをやっているはずなので、プライベートでも適用すればいいと思います。

 ですが特にこの業界の方はトークはやたらロジカル(つまり、理屈っぽい)のに「シンキング」のほうがやたら情動的だったり妄想に覆われていたりするので、注意が必要です。でもこれ、なぜなんでしょうね? 今度ゆっくり考えてみます。

 リアルビジネスで求められるのは真逆で、「シンキング」のほうを極限までロジカルに、そしてトーク(アウトプット)はとことんまで理屈っぽさを排除していく必要があります。それにより「説得力」が生まれますね。説得力って大事ですよ。

 計画と実践により願望はぐっと実現に近づきますが、「願いは必ずかないます」とはいってません。

 では、なかなか願望がかなわない状況に陥りそうになったらどうするか? というと、おおざっぱにいうとふたつの手法があります。ひとつは、その「願望」を、現実解に「変形」させること。

 もうひとつは、その「願望」が「ぐっと」こっちに引き寄せられてくるのを待つことです。

 前者と後者の合わせ技も、もちろん考えられますね。

 前者はアジャイル的手法(笑)です。計画の根本的練り直しはしない。手戻りはしない。走りながらアウトプットに柔軟性を持たせるということです。ここでいちばん重要なのは、妥協はしないということ。納得感はありまくりのまま、アウトプットを「スライド」させていく感じです。ガチガチのウォーターフォールでない、ダイナミックでかつ小規模の(そしてスリリングなw)システム開発に携わっている方であればなんとなくこの感覚はわかっていただけると思います。

 後者については(おぼえていれば)後日詳しく書きます。これはよく言われていることわざでいうところの「人事を尽くして天命を待つ」ということですね。

 待つしかない、というシチュエーションは、人生において多々ありますし、時間が解決するケースもたくさんあります。

 私が最終的に言いたいのは、どうやら世の中のいろいろな著名な方の考え方などを読んでいると、日常でまったく無欲に「小損」をとっていると、「願望」が引き寄せられる可能性がぐーんと上がるということなんです。あるいは時間が短縮されたり。

 それを科学的に証明はできないしする気もないのですが、事実としてそうだということです。

 もちろん、以前書いたとおり、日常で「小損」を取っている目的が、その願望を実現するため、ではダメなのです。そこが、難しいところで。

キャッシュ(cashe)を

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知識が増えると選択肢が増えるのは間違いないんだ。たとえば最も効率的な乗り換えがわかって時間が効率化されるとかね。
ただし、それはgoogle先生に聞いてもわかる話、なんだが、そんな検索してらんないっていうシチュエーションはままあるだろ。会議中とかプレゼン中とか。

つまり必要なのはキャッシュ領域なのね。一時的に保管しておく領域。脳というか記憶領域に直接いっちゃうと、思考のさまたげになっちゃうからさ。

キャッシュを増やすためにはどうしたらよいか? これはね、訓練でしょ。。はっきりいって受験勉強くぐりぬけてきたヤツは強いかもね。でも、使わないとサビつくから、受験勉強しなかったヤツも心配しなくていいw

(改題)面接は何のためにやるのか

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面接ってさ、何のためにやるのか、知ってる。。?

 

あれって、志望動機を確認したりとか、大学時代に何のサークルをやってたの

かとか、そういうの聞くためにやってるんじゃないよ。

 

面接って。。「容姿」をみるためにやってんの!!!! それわかってる~?

♪(小沢健二風)

特に女子は。

 

上場企業に美人が多いのはアタリマエでな、偏差値の高い大学出身で「まあま

あ」きれいって子がどんどん先に売れていくから。

聞いたことないような大学で、受け答えもバカっぽいんだが美人ってのも、大

企業じゃ採用しないかもしれんが、いずれ売れる。必ず売れる。たとえば地方

局のアナウンサーとして育ててみよう、と考える人間が必ずいる。必要なのは

明るさ。

 

ただし例外があってね。「容姿」をみるってのは単に美人度(偏差値的な)を

みるんじゃないよ。もちろん「知的風美人」がいちばんピラミッドの頂点にい

るんだけどね。

プライベートの、「街」でモテるような、つまりね、「色気」を発散している

ような美人ってのは、採用されない。それは美人度は高くても採用面接での偏

差値は高くない。

 

ところが、だ。そういう人はもちろんそのへんは考えているから、なるべく地

味なリクルートスーツに身をつつみ髪をひっつめて、色気を消して登場するか

ら、そのへんで心配はいらないかもしれない。

ボロを出さないようにw

 

 

あ ごめん、男子のこと全然書いてなかった。興味ないから(笑)

男子も容姿みてるに決まってんのよ。でもそれはイケメンかどうかじゃなくて

ね、リーダ的オーラがあるかどうか。

生活習慣の断捨離

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まさか生活習慣の断シャリをするようになるとはねえ。。

あのね、オレがいってるのは「良質な」生活習慣だけの話だよ。

ほとんどの人は、悪しき生活習慣を断シャリしたいんだろうが、オレは10年前からそんなレベルじゃねえんだよ。

良質な生活習慣をあれやこれや取り入れること自体がすごんだから(自画自賛)。ふつーやれねえだろ?

ただ。。あれやこれや取り入れていたら、なんか「似たようなの」が増えてきたんだよね。。

だから、なんか苦しくなってきた。苦しいってのは。。「これでいいのか?」感を払しょくできなくなってきたってこと。

ほとんどの凡人は良質な生活習慣をひとつ、ふたつ継続するだけでもあっぷあっぷだろ?オレはありすぎて、減らそうとしているという。。

まぁオレも出世したもんだわ(笑

幸せになれるか否かとアタマの良しあしは「比例」ではない

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幸せになれるか否かとアタマの良しあしは「比例」ではないってのは、みんなまさか。。わかってるんだよね?
「学歴」とか、勤めてる会社の大きさとか、ステイタスとかも、もちろんそうだよ。

比例ではないがある程度の相関関係がある、ぐらいなんだよ。なぜならば、アタマが良い人のほとんどは、そのアタマの良さを活用して、生きていくのに最低限の収入を得ることができる(あるいは、得ている)から。
もっとわかりやすくいえば貧乏はほとんどいないってこと。貧乏って、強烈だからね。。

わかりやすくカネでたとえると、アタマがよいほど、学歴が高いほど、収入が高いわけでもないってのが、おもしろいところだよねえ?

そしてよくいわれているとおり、収入と幸福度が比例するとも限らない。
これは、やっかみで言われてることがほとんどで、やっかみの馬鹿どもは、収入が高いと「不幸になる」という言い方をするんだが、バカだね。。ホント、バカだね。

そんなわけ、ないだろう!

あのね、この国でもっとも、幸福感を感じている割合が高い「層」ってのは、もっとも「可処分所得が多い」層だよ。
そんなの、あたりまえじゃん。

ということは、節約とか質素が身体にしみついている人間ってのは、かなり幸福だってこと。
カネを使わないことにストレス感じないんだから。そりゃ幸せだわね。
そういうタイプかどうかってのは、育った環境によるわね。親のしつけ。

だから、かーなーり!身もふたもないこというと、幸福度が高かった親のもとで育った子は、高い確率で幸福だよね。
まぁ身もふたもないんだがあたりまえの結論ではあるよね。

幸福度が低かった収入の高い親のもとで育った子は、高い確率で不幸になるよ。
これも、あたりまえ。

だからね、どうすりゃいいかっていうと、子供がいるといちばんいいんだが。。まあ独身だったり子供がいなかったりいろいろな家庭があるからあれなんだけど、

自分が幸福かどうかはおいといて、自分があたかも幸福であるかのように、子供を育てればいいんです。
そうすりゃいずれそうなるし、育った子どもも恩返ししてくれるよ。

言うのは簡単だけどね。。それはつまり、自分が変わらなきゃいけないからね。

でもさ、今ドツボで、もっと幸せになりたいとかカネ持ちになりたいとか思ってるヤツは、変わらなきゃいけないに決まってんだろ?

そのためのひとつの方法を指南したってわけ。けっこう重要な方法を惜しみなく書いたよ。


おっと、ここで終わると、オレは独身だのうちは身体的事情で子供がいないんだ、だのクレームが入るから。。
そういうヒトは、いわゆる「社会貢献」しなさいよ。つまり、自分が幸福度高いフリして周りをほんのり幸せにしていくってこと。
別に、ボランティアにいけなんていってない。

ヒトにクレームつける前にまずやりなさい。そういうアホな人種って、いきなり自分の身の回りすっ飛ばしてボランティアいったりするんだよな。。
町内会の清掃には積極的に参加するヤツほど家がキタナいっていう。あるいは奥さんにやらせてるっていうね。
ダメだよね、そういうヤツは。

 

「小損を取る」(5) むしろ計画?

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 例によって結論から。

 引き寄せの法則という漠たるものに過剰に期待するのではなく、綿密に計画を立てて、行動して、必要によってはカネや人も動員して、そして「取りにいく」のです。それが21世紀の引き寄せの法則です(嘘)。

 何かを引き寄せたいのであれば、それを引き寄せるのにもっとも効率的な方法は何かを、脳みそを総動員して考えて実践することです。

 実践とは、アタマを使うのと身体で行動するの両輪です。

 前回までのおさらい… ちょっとしつこいかもしれませんが。

 小損を取っていくと、得を引くことはできるが、それが小得なのか大得なのかもわからないし、いつ得を引くかもわからない。

 そして、自分が得を引いていることすら気づかないかもしれない。

 ということを書いてきました。

 小さいのか大きいのかわからない、ということは当然、具体的にどんなタイプの得がやってくるかもわかりませんし、こちらで得のえり好みをできるわけもありません。

 さらに、どんな損を取ったかと、どんな得がとれるかとに因果関係はないです。ですので、たとえば「●●がほしい」とかそういう得を、小損を取ることにより狙って引くことはできないのです。

 これに関しては非常にわかりやすい例があります。今はどうかわかりませんが、昔、主に中小零細企業の社長連中の間でトイレ掃除が流行ったのです。そういう本がありましてね。その本の名前は忘れましたが…

 で、すみません、私その本(そういう類の本)読んでないのですが(爆)、おそらく事務所のトイレ掃除をすることで売り上げが上がった、皆トイレ掃除で謙虚になれ!みたいなことが書いてあるのでしょう。

 で、それを読んだ「意識高い(苦笑)」社長連中が、さっそく自分の会社でもやってみた、と。自分がやるんならまだいいですよ、でも、サイアクなのは社員連中に押し付けるわけです。「謙虚な気持ちでトイレ掃除せよ!」と。

 社員にとってみればいい迷惑ですよね。そういう会社は辞めていいと思いますね!(笑)。

 結果、まんまと売上は伸びない。どころか落ちる。社長は逆ギレし、そっこーで「効果が上がらない」がためにトイレ掃除施策は廃止します、という壁紙が会社の掲示板に貼られる。

 そんな、三流のコントみたいな風景がホントに!この国で繰り広げられていたんですよ(涙)。

 説明しなくともわかると思いますが、売上を上げる、会社の業績を上げる、という「大得」を狙って、トイレ掃除(小損)をしたり、させたりしてるわけですね。

 社員にトイレ掃除をさせる前に、会社の業績を上げたいんだったらもっと「直接的に」やることがあるでしょう?と。なぜ、学生時代偏差値が高かった人たちが集まる集団で、そういうおバカなことが起こるんでしょうね?!

 あ…こういう議論って昔ありましたね… 「なぜ偏差値の高い連中がみんなオ●ム●●教にハマっていったのか?」みたいな…

 たまたま、事務所のトイレ掃除をし始めたら売上が上がった、ってことは、あると思いますよ。否定はしません。ですが因果関係はありません。

 ところで…

 年にたった一度、元旦に、寒い中初詣するだけの「小損」でもって、壮大なる願望を神様にお願いする方が圧倒的多数のこの国ですが、まさか本気じゃないですよね、と…

 自分は何も行動を起こさない前提での他力本願ですか? と毎年、周りをみていて不安になってきます。完全に余計なお世話なんですが(笑)。

 まぁ多くの人は新年に抱負を立てて、行動を起こそうとはするみたいなんで、完全に他力本願のつもりではないようですが(苦笑)、結局9割方三日坊主ですからねぇ…

 あまりにも毎年毎年繰り広げられる光景なもので、もうこれはただの「ポーズ」なのだな、と思うことにしました。あるいは「エクスキューズ」とも言いますが…

 あ、そうそう、これも毎年不思議なんですけど、たとえば新年に家内安全を願ってるそばからダイエット始めたりするじゃないですか(笑笑)。なんで願望と行動が分裂気味なんでしょうね?

 家内安全を願って賽銭も入れてるし破魔矢も買っとる! とキレられそうですが、でもそれって… 本気なのであれば、すぐにホームセンターにいって家のドアを二重鍵にすべきじゃないのでしょうかね? お金を賽銭箱にいれる必要はないので。

 と、正論をのべたところで結局なんやかんや理屈をつけられて(「その言い方が気にくわない」とかw)同じようにキレられるだけなんですけども(苦笑)、でもまあ、その願い事がかなわなかったからといって翌年の正月にモンスタークレーマーとなって「実現されなかったじゃないか!」と怒鳴り込んでくる日本人は一人もいないようですので(笑)、まだ神仏への畏怖はあるようです。

 というか、初詣で何をお願いしたか、なんて2週間ぐらいで忘れているのでしょう… という意味では本当に、初詣というのは本当に単なる「イベント」なのでしょうね。

 今の若い方は知らないと思いますが、昔、お百度参りという儀式がありました。お母さんが子供の受験が成功するため、あるいは手術がうまくいくように、とお百度を踏むことがありましたが(詳しくはWikipediaで調べてくださいw)、その行為と子供の成功(あるいは失敗)とに因果関係は発生しません。

 ただし、そのことをお子さんが聞きつけることにより、よし、自分も頑張ろう!と発奮し、それが良き結果に結びつく…ということは、あるのかもしれませんし、そのお子さんが、そういうことを意気に感じない性格であれば、何も結果に影響を及ぼさないと思います。

 お百度参りのたとえでもっとも重要なのはお母さんの気持ちなのです。お母さん自身が、やりきった!という満足感を得ることができたり、安堵できたりするのであれば、それでよいのです。

 お母さんは、おそらくその前の段階で、子供を塾に行かせたり、夜食をつくってあげたり、手術の例でいえば入院させる準備をしたり、手術代をねん出したり、そういう直接的行動をしているはずなので、結果と直接の因果関係を持つのはそっちのほうなのです。

 つまり、お百度参りのほうの品質を上げるのは本末転倒であり、ほんとに儀式的なものなのではっきりいっててきとうでよく(九十九回しかやらないとかなわない/百回やればかなう、とかそんなアホなことはありません)、具体的な行動のほうの品質を上げていけばよいのです。

 いや、その前に、具体的な行動を「何をするか?」を考えるほうの品質を上げるが最優先でしょうね。

 そしてこれは余談ですが、このたとえでいうと具体的な行動の品質が高い人は結局「お百度参り」のほうの品質も高いという… だからまるでお百度参りしたから手術が成功した、っていう伝説になってしまうんです。具体的な行動がてきとうなヒトたちはそもそも意志が強くないので、お百度参りを30回しかやらず「神様、見逃して!でも子どものことはよろしく」とか都合のよい願い事もついでにしてしまい、まんまと結果が伴わなかったりしますので、自分の行動の質の悪さを棚に上げて「ちゃんとお百度参りしとけばよかった!」などと、まったくトンチンカンな反省をしたりするのですね。

 私の持論では、このお百度参りのたとえに引きつけていうと、「お参り」は、年に数回、定期的に行くべきなんです。これが私の考える「小損」です。

 そして、結果は求めない。まったく求めない。いや、あえていえば、「すがすがしい」という結果は得られますけどね。神社というのは、良い空気が流れてますので… なのでいってみれば「定期的な散歩」でしょうかね(笑)

 何か「事案」が発生したからすわ百回!っていうアプローチが、間違ってるのです。そういう方は間違いなく、ふだんは近所の神社に近寄りもしないと思います。

 そういう方は、初詣はTVカメラも出動するブランド神社に行ったりしますね。

 さて…結局いくつかのたとえで何が言いたかったかというと、やっと本題ですが(汗)、たとえば「●●がほしい」とかそういう具体的な願望は、小損をとるでもなく、引き寄せられるのをお祈りしながら待つでもなく、別なアプローチでもって実現させることが可能です。

 それが、「計画」(PDCAにおける"Plan")というものです。あるいは複数人であれば「プロジェクト」という言葉におきかえてもかまいません。

 具体的に何かがほしいとか、何かを実現させたいとか、あるんだったら、直線的にただ取りにいけばよいのです。

「21世紀型の」一流の企業

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オレね、21世紀がなかなかいいなって思うのは、21世紀とくらべて、一流の企業に入れるかどうかと学生時代の大学の偏差値とは「比例」しなくなってるところね。

そして、実は!多くの人が明言していないんだが、「21世紀型の」一流の企業に入れば、幸せになる確率がぐーんと上がるんだよ。

これ、大事な話だよ? 20世紀にブイブイいわせてた企業じゃないからね。そういう会社はウラブラック企業だからw

「一流企業の社畜になりなさい」とオレはいっとる。そこまではっきり言うヤツはあんまりいないだろ。


あのね、だから、いわゆる有名企業(「一流」とはいってない)に、希望者がありえないぐらい殺到するのは、当然なんだよ。
有名な企業イコール一流とはいわんが、その可能性は無名な会社よりは高いからな。

いちばんの問題は。。このご時世で、偏差値の高い大学で、その大学に入ったことで満足してしまって、怠惰に過ごしてる学生だよ。
大学のネームバリューが高いからって「サークルの副部長」で「一流」の会社に就職できるわけねえだろうが。
そんな時代じゃねえぞ?

カンタンにいうと、学生時代からすでに個性が必要なわけ。無個性の人間を企業側が好んだ時代は、終焉を迎えつつある。
ただし、さっき書いた20世紀型の企業はいまだに無個性な人間を自分の会社の色に染める手法を使い続けているから。まぁ早晩傾くわな(嗤
だてイコール人材がいねーってことだろ。


だからね、たしか最初の話は、一流の企業に入ればほぼ幸せになれるよっつー話だったんだが、
そもそもそこに入るのにハードルが高すぎるぐらいになっている。
倍率の話じゃないのね。簡単にいえば、幸せ予備軍じゃなきゃ入れないわけ。学生時代すでに幸せでないと。

会社って「運が良い」人材をむっちゃ好むから。学生時代幸せに過ごしているっていうのはかなり運が良いと判断される。

でね、学生時代幸せに過ごせるっていうのは簡単にいえば何かに打ち込んでいたということ。それだけ。
もっというと、ある程度の結果を出していればなお良い。が、それはMUSTではない。なぜなら、結果は社会に出てから花開くかもしれないしね。
その分野の話を始めたら数時間止まらない、そしてものすごく楽しそう、っていう、打ち込める(打ち込めた)何かを持っていれば、よい。

「サークルの副部長」って、大学で、幸せか?怠惰って幸せか? バイトに明け暮れて大学にはほとんどいってませんでした、って、今の時代幸せか?
大学時代、そういう感じのヤツは、オトナになって幸せになる資格は(あんまり)ない、っていう、けっこう残酷な時代でもあるね。

 

でさ、さらに悪いことに。。その、学生時代に熱中する(できる)ことってのは、その前にすでに見つけておかなければキビシいという。。
ということは、イコール、親も巻き込んで、総出で子供が打ち込めることを見つけてやらにゃいかん。ということはシューカツってのはやはり親も含めた総力戦なのかもしれんな。