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元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

犠牲にする、じゃダメなんだ

2013年11月 幸福(豊かさ)論

ameblo.jp

何に対しても、すべてに対して間違った犠牲的精神は持ってはいけない。
そもそも犠牲になっちゃいけないんだ。そういうことなんだよ。

身近な例でいえば親は子育ての犠牲になってはいけないし子供は親のエゴの犠牲になってはいけない。
夫婦は互いの犠牲になってはならない。
(いちばん難しいところだが)実年世代は老いた父母の介護の犠牲になってはならない。

社員は経営層の犠牲になってはならない。

こんなのみんな、「総論賛成」なんだろ? でも実際親がボケてそれを実の子供が放置プレイしたらバッシングが始まる。
といったあたりは、オレはこの国は大好きだがこういう国民性は死ぬほどキライだ。


結論:
考え続けなければいけないことは、犠牲にならないためにどうしたらよいか?と、犠牲になっていると決して思わないこと。
後者は、「ささいなことでは」という前提ね。犠牲になってる、と考えるクセをやめるというかね。

前者はね、かなり逃げてもいいんだよ。世間体なんてクソくらえなんだよ。あらかじめ遠くに逃げておくのが大事なんだ。直面する前に。周到な準備ね。

世間体にがんじがらめになってるヤツはそもそも逃げられないし、いざ事が起こっても当然、逃げられない。アタリマエのこと。

子供のいじめの話だってそうだよ。教室という社会にがんじがらめになってるヤツはいざ「自分の番」(いじめのね)がきたときに逃げられない。ガッツリいじめっ子に捕まっちまうのよ。
でさ、いじめっ子って集団になると相当粘着だから、一旦カモを捕まえたら話さないのよ。そもそもそういうヤツらって大バカだし。

まぁ、いじめっ子ってサイテーだとは思うけどな。ということはその親がサイテーということだ。


いつでも逃げれるようにしとこうぜ、ということだぁね。