福島出身東京在住者への差別は結局発生しなかった
何が書きたいのかというと。
震災後、当然のように、首都圏や関西在住の被災地出身者と、学校卒業後ずっと被災地にとどまっている人間たちとの交流(一部では「絆」ともいう)は強まった。
同級会なども頻繁に行われるようになった。
今はそれほどでもなくなったけど、以前はけっこう、安全圏に住んでいるというだけでうしろめたさ、軽い罪悪感が、あったのさ。
別に、逃げ出したわけでもなく。学校卒業してずーーっと田舎は出たまんま。たまに帰省するぐらいで。
それが、震災後、「なんか」変わった。
特に俺はフクシマ出身である。
2011.3月は、俺のふるさとはどうなってしまうのだろうと本気で思った。それまでふるさとなんてちっとも顧みなかったくせにな。
田舎に帰って飲み会とかやると、(線量高いのに)帰ってきてくれてありがとね、といってくれる人がいるんだよ。そして俺たちは一泊やそこらで安全圏に帰ってゆくのだが。それでも礼をいわれる。
帰る人間に対して地元の人間はホントのところどう思っているのか。特にフクシマで子供を抱える母親に。
そして俺たちはずっと、安全圏からSNSでのんきに幸せそうな近況を投稿してタレながす。フクシマにはまだまだ、帰れない人たちもいるのに。
でもな、ずっと安全圏で報道を凝視してきたし、これかれもおそらくそうなるわけだが、
俺たちは笑顔で暮らしてはいけないのか? と、叫びたかった。
うまいもん食った、楽しいイベントだった、とSNSにアップしてはいけなかったのか? それは不謹慎なのか?
今日は子供と誕生日を祝いました、と報告すればそれがまかりまちがってお子さんを亡くした方の耳に届くかもしれない。それはそれで、あたりまえだろっていう話。
だからといってずっと自粛しなきゃならんのか。
そういう議論みたいなのはね、震災直後からしばらくは活発だったような気がするんだが、ぱったりなくなったような気がする。
が、俺はこれからもずっと自問自答してゆくのだろう。
それにしてもフクシマで暮らす俺の同世代の人たちは、強い。
かなり、強い。
強くなる必要もなかったのにな。