元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

傲慢にならずに人間は完璧な存在であると叫ぶ方法

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まだですね。腹落ちまではあと数年かかるかもしれない。

傲慢にならずに人間は完璧な存在であると叫ぶ方法
ときどきふっと、感じる。
人間に生まれてよかった、とか。。そういう類のこと。

今の自分は本当に幸せだ、と。。明るい家庭を持ち。(「明るい家庭」以上のいったい何を望めというのだ?)

というところを突き詰めてゆくと、神は完璧な存在として人間をつくりたもうた、というところにいく。(ように思う)

あるいは「天上天下唯我独尊」と。

あるいは、
人は常に最適な選択をしている、と。


反論はすぐ予想されるのだ。人間は絶望的な能力差をもってうまれてくる、というのも知っている。
早逝する子供の親御さんは、自分の子供が「最適な選択」をしたとは死ぬまで思えない。
ご自身も、「自分の子供が死ぬ」という人生の選択は最適どころかサイアクと感じるに違いない。

今回の震災で被災された方しかり。

それは、わかる。わかるのだが。。

安易に結論が出る話ではなくて、今回の震災後より深く、そういうことを考えるようになった、ということ。今のところは、それでいい。

どなたか忘れたが、天罰は弱いところ弱いところに当たり、為政者にはいかないことになっている、という話を聞いた。(その代わり為政者は部下に暗殺されたり、別な国に滅ぼされたりする)

それにしても、それにしても、だ。。
「自分は幸せだなあ。。」とか、今までの人生間違ってなかったな、とか、そういうことを感じることを禁じえない。

東京に住んでいる人は震災後、ますますそういう思いを強くしているはずだ。
それは果たして、バチあたりなことなのか?といえば決してそういうことはないはずだ。