元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自然に目標が設定される

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今!
与えられた仕事を一生懸命やる。

および、今!自分の「質」を高める。
質を高めるとはすなわち、勉強(読書)ですね。

および(まだある)、良質な生活習慣を、形成する。
それはすなわち、自己陶冶ということ。

これらをやりながらさらに(まだある!)、自身の人生の目標設定を明確に、具体的にしてゆく。

最初の3つと、最後のひとつ(人生の目標設定を明確に)は、3:1で密接な関係がある。
最初の3つを一生懸命やってると、後者の目標設定が自然と具現化されてゆくのです。
だから、心配することはない。安心して、前の3つに精進してればいいのです。

前の3つを一生懸命やってるうちに、ありえない夢や目標はそぎおとされ、現実的なものになってゆく。それは、若干悲しい側面があるけれど、仕方のないことでもあるのです。
一生懸命生きるのはそれが目的でもあるから。


つまり。。前者と後者は、最初、まったく相容れないようにみえるわけです。だいたい、後者は、「夢っぽい夢」っていうか、最初は荒唐無稽な、自分の実力を度外視した夢であるわけで。そういう「夢」を持つのは正しいっちゃ正しいのであります。

でも、前者と後者はやがて、歩み寄ってくるんです。それは、正しい人生を送っている人間だけが受けられる「恵み」なのですよ。
それをわかっていない人が、すごく多い。どころか、ほとんどの庶民はわかってない。

「正しい」人生を送っている人は、ごほうびとして、夢が「歩み寄って」くる。それは、言い方を変えると夢が「変わってしまう」ということでもあります。でも、すごくその変化が自然に行われるから。別にいいのです、変わっても。

正しくない人生を送っている人は、夢が歩み寄ってこないから、どうなります? いつまでも叶うはずもない夢を追っているでしょう。そういう人、いませんか?
その夢は、なんかムダにデカい。

そういう人はえてして自信過剰で、日常生活の質を高めようなんて、これっぽっちも思わない。自分の「才能」だけで押しきれると思っているのです。
でも、世の中ってそんなに甘くないのです。


さて。。ここからちょっとムズカしい話なのですが。

「正しい」生活を送っていると、夢が歩み寄ってくるという話を書きましたが、それではまるで、こっちが「妥協」したみたいですよね。

でも、それはちょっと違うのです。
というか、世の中には、夢のほうをほとんど修正する必要がない人が存在しますよね。

なんというか。。「正しい」生活習慣のレベルが、上がり過ぎてしまうといいますか。
イチロー選手なんか、そうじゃないのでしょうか。あの方のルーティンは常人離れしてますよね。

まぁイチロー選手は極端な例ですが。。
プロ野球選手になる人は、生活習慣のレベルが極端に上がっていくからこそ、プロ野球選手になれるんだと思います。


つまり。。何がいいたいかというと、
夢のほうが歩みよってくる人と、膨大な努力により夢のほうへいってしまう人とがいるということです。

ただし、膨大な努力をしているつもりでも、自身が夢のほうへいかず、夢のほうが歩みよってくる人もあるようです。
つまり、そこは「神のみぞ知る」なのです。言い方を変えれば、気にしなければいいのです。そこはもう、制御不能なのですから。

でも、それは、すごく高いレベルの話をしています。
全体の数パーセントだと思います。夢と自分の生活とが、どっちが歩み寄るにせよ、近づく人はほとんどいないのです。
なので、近づいたらラッキーなのですよ。世の中は近づかない人がほとんどなのですから。


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たとえば今!の仕事を一生懸命やったとします。

その結果その仕事が好きになり、周りからの評価を受ければ、まぁ「いい気分」にはなりますよね。

その瞬間に、「目標」あるいは「夢」がドラスティックに変わることは、あるでしょう。
つまり、その好きになった仕事の「周辺」に落ち着くわけですよね。

それは、とても幸せなことだと思います。思いませんか? というか、思いましょう。


目標あるいは夢を、具体的にすることが、できる人はほとんどいないのです。
なんとなく、手の届きそうで届かなそうな夢や目標を、具体的に描いている人は、幸せなのです。選ばれた人種になれる可能性がある。そういう人はあとは一生懸命生活するだけなんですよ。

まず夢ありきな人は、そのための良質な生活習慣をセットするわけですからね。実現は早いかもしれませんよね。