白鳥とガチョウ【古典】
白鳥のように優雅になりたいと願うガチョウが、まず外見の優雅なところだけ真似したところでゼッタイに白鳥にはなれない。
白鳥が水中で必死に水を掻いていることを知らないし、知ろうともしないし、仮に知ったとしてもやらないし。
なぜ知ったとしてもやらないかというと、やらない(努力しない)がゆえにガチョウなのだから。(これはたとえだけど)
ぱっとみは優雅で、実は水面下で努力している、というメリハリをつけられないからガチョウに甘んじてるわけさ。ガチョウはもっと、ぱっとみも水面下もどたばたしているのがお似合いなんだ。
白鳥も、ガチョウ「ごときに」は、自分の優雅さのひみつが実は水面下にある、ことなんて教えるわけない。「教えてくれ」といわれても教えないよ。
結局どうあがいてもガチョウは白鳥にはなれないのだが。。 「なりたい」と願う気持ちは取り下げて、「近づきたい」にシフトすることにより解決してゆくんだ。
単なる真似じゃなくて精神、あり方を近づけてゆくというか。。