元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

無心へのいざない(シリーズのその4)

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 SE稼業はえてして仕事に「塗れて」しまいがちです。平日朝、出発20分前に起きて急ぎ準備をし電車に飛び乗り、現場に到着したら始業時間ギリギリで、メールチェックしているといろいろ依頼が舞い込み即打ち合わせ。。(略)

 で定時が終わる頃にやっと明日の資料作成開始と(苦笑)。残業飯食べて、遅い夜にやっと終わって帰宅して風呂入っていろいろ(録画とかネットとか)chkして「画面」の残像が消える前に就寝。結果ヘンな夢を見てしまい(笑)、睡眠の質も悪く慢性的な睡眠不足... そして週末は寝だめが主目的に。

 ...といったあたりは健康について書いているときに触れましたので以下省略しますが、何が言いたいのかというと、仕事に塗れれば仕事で成果を出せるかといったら必ずしもそうじゃないという残酷な現実があり(苦笑)。

 むしろそれは反比例では?という風潮に、やっと世の中がなってきており、そこにIT業界は「意図的に」乗り遅れようとしています。そしてあわよくば業界としてその風潮に乗らないまましらばっくれるつもりです。そこを私は、僭越ながら憂いていたりするわけで。

 「空気」に逆らえず未だにうさぎ跳びを毎日の練習メニューに組み込んでる、みたいな感じです。皆うっすらと、それが自身の膝を悪くしているという自覚があるにもかかわらず!です。

 ただ、それを全否定しているわけではなくて、人生において仕事にドロドロに塗れる期間は絶対必要であり、そこで人間的にもビジネスマン的にも飛躍的に伸びます。

 でもその期間は絶対に、期間限定であるべきなのです。

 慢性的に仕事に塗れている自覚があるのであればそこから「何とかして」(その手段はオーダメイドですので自分で見つけないと...)脱却して、かつ、どんどんプライベートでは仕事から離れていきましょう、ということを前回書いたつもりです。

 段階的に。

 あれ、今書いていて思いましたが「仕事とプライベート」という考え方もダメなんでしょうね、これからの時代は。なぜなら、仕事とプライベートを明確に分けてしまうという思考自体がイケてないのは当然として、なんだか仕事が主でプライベートが従のような気がしちゃうんですよね。

 それと、前回書きましたが「趣味」という言葉もイマイチなんですよね...なんか生ぬるいので。少なくとも仕事と同じぐらい、あるいはそれ以上に熱中しないと...

「両巨頭」とでもいおうか

 で、次の結論は、振りきれるぐらいに仕事から離れちゃいましょう、ということなんです。

仕事をしなくなるという意味ではありませんよ

 私個人でいうと、仕事から離れていけばいくほどヒニクにも仕事の生産性があがるみたいなんですよね。

 ただし100%ではありません。

 その離れていくという方向性が、世間一般でいう「善」の方向に近ければ近いほど、ということです。

 極端な話、離れるといってもたとえばアルコール依存症ではダメでしょう。そういうことじゃなくて。

 とにかく何か、「善きこと」に本気で、真剣に、取り組むということです。何かに真剣になればなるほど、仕事からは離れていかざるを得ません。

 たとえばスポーツを例にとると、それが仕事のストレス発散のため、とかそういう段階では全然ダメ(「趣味」の段階)で、それをやりたいがために、良き道具をそろえたいから働く、とか、練習したいから、仕事は切り上げるとか、大会に出るためにガンガン有給とるとか、そんな感じで、相対的に仕事より優先度が上になっていかないといけません。

 平日の長時間労働の反動で、週末寝だめが主目的になってしまったり、平日分を取り戻すために休日アホみたくアソんでしまったり、そういうコテコテのSEライクなライフスタイルじゃなく...

 とにかくまずは、仕事に振り回されない生活を確立することですね。

 以前、ビジネスマンがクラークケントのごとく「別な顔を持つ」こと(これも古っ)の有用性について考えていたときに「あ、つながった!」という瞬間が以前あって、それについて次回以降書こうと思いますが...

 仕事から離れて別なことに夢中になる、ということは、当然、仕事はしないということです。アタリマエですが...

 仕事について一切考えることもしない。完全に忘れる。

 ということは、「仕事はしない」がもっとも極端に振り切れるとどこに行くかというと、あ、「無心」じゃん、と。

 何も考えない。無になる。

 「無」の時間を、日常で意図的につくると、仕事の生産性が間違いなく上がるのです。

というのも私個人の体験ですが、同じような経験をされている方は多いようですよ

 たとえば瞑想とか座禅とかもそれに該当するのでしょうが、じゃっかんハードル高めというか...

 私の場合「無心」でぴったりくるのが「掃除」でした。

 ああ、自分は無心になりたいがために掃除をしているのだな、と、あるとき腹落ちしたのでした。

 で一旦まとめると、以下の4つのファクターを人生でバランスよく確立すると、すごいことになりますよ。本当に。

仕事(びしっと、生産性高く)
読書(良書厳選)
趣味以上の、真剣に取り組めること
無の時間(の確保)

家族サービスもあるだろうとかそういうツッコミはなしでお願いします(笑)。それはそれで、当然押し寄せてくることですので(苦笑)

いくとこまでいくと劇的なパラダイムシフトが起こりますよ。(時給を上げる話リターンズ)

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 えっとたとえば、キャリア官僚が50歳すぎてどっかの民間団体に天下りしたりとか...

 どっかの会社の社長が別な会社の社外取締役になったりとか...

 中田英寿さんが突然東ハトと契約して1200万/年の報酬を得るとか...(古っ)

 そういうのに対して、世の中はなぜ批判的なのでしょう?と問題提起したいわけです。

 日本のビジネスマンが到達したいところって結局そこでしょ?

 歳を取ったらそういう立場になりたいのではないの? それを求めているのになぜ批判する?

 (批判する理由が「うらやましいから」というのは自明なのですが)

 ところで。

 サラリーマンって不労所得について夢想するのが大好きなんですよね。働かずして自動的に口座にお金が振り込まれる...

 あるいは週末起業?あるいは副業?

 なんでもいいんです。要は別な収入源を持ちたい、と。そして、別な収入を得るための稼働は楽であればあるほど、時間が短ければ短いほどよく、あわよくば「不労」であることが理想。

 そういう考え方と、上述した天下りと、何が違うんでしょうかね?

 天下りする人たちってたぶん、ふだんはなーんにもしないで日経読んで昼寝してるのかもしれませんが、そういう人たちにお金が支払われるのには理由があるのです。

 その方々の小手先のワークに対して、ではなく、その方々の持っているコネクションですよね、価値を生じさせるのは。

 そのコネクションが直接的あるいは間接的なトリガーとなって、年間で億単位のビジネスが生まれるのであれば、あるいは、ビジネスが生まれる可能性が高まるのであれば、はためにはなーんにもしていないように見えても、その人は「働いている」といって間違いないのです。

 要は時給が高いんですよ。

 長い人生を考えたら最終的にそういう人間になったほうが得じゃないでしょうかね?

 よくいわれる「一生食いっぱぐれないような手に職」よりも効率が良いのではないでしょうか、これからの時代は。

 SEは、長時間労働の泥沼に沈溺していくのではなく、とにかく時給の高い人間を目指しましょう、と、だいぶ前の「時給シリーズ」で書き続けてきたつもりです。

 とかくIT業界は自分の時給(を上げること)を意識する方が少ないので...

 SIerの管理職って時給換算で3000円ぐらいじゃないでしょうか?(安い...)

 今の給料が安い!と思っているのであれば、とにかく自分の生産性を極大に上げて、定時退社はあたりまえ、それどころか、80時間/月ぐらいで自分がアサインされてる仕事をこなせるようにし、あとはうま~くサボりましょうよ、と。

 サボるっていうのは、もちろん、文字通りの意味ではなくて、自己研鑽自己投資に充てるということですけどね。

 月80時間を自己研鑽自己投資に充てないと、そこからさらに上のステージ(つまり、さらなる時給UP)にはいけないのです。

 逆にいうと、長時間労働するのであれば(それが好きなのであればw)それに見合った、相当な報酬を得ましょう、要求しましょうよ、ということです。

 若い時分から、自分の時給を上げることを常に意識していると、高い確率で、上述したような人種、すなわち、ちょっと動いただけでけっこうな規模の案件を動かせちゃうみたいな、そういう人種になれます(なってしまいます)よ、ということ。

 ところが、残念ながら?といいますか、時給を上げるための意識と実践というのは、まわりからみると「サボる」行動と酷似しているわけです。

 だから、バッシングに遭います。それに耐えなければならない。

 ほとんどの人間はバッシング(および強力な同調圧力)に耐えられないので、「突き抜ける」ことができません。

 まぁバッシングが酷い会社は辞めたほうがいいと思いますが(苦笑)。

 結果、会社に尽くして長時間労働を頑張っても、時給3000円程度の外部評価基準に甘んじたまま年老いていくことになります...

 それならまだいいほうで、自己研鑽を積むこともなく、滅私して会社に尽くすこともなく、でも会社にしがみつくことにだけ注力してきたような方の末路は、これからの時代悲惨なことになっていきます。

 会社(ニアリイコールで「ビジネス・シーン」)というのはいつの時代も、不況だろうが好況だろうが、実は突き抜けた(時給が高い)人材を切に希求しています。正社員で囲っておけなくとも、どんな契約形態であっても、欲しいのです。

 転職活動で採用担当に経歴についてチクチク嫌味を言われるのではなくて、ぜひきていただきたいと三顧の礼で迎えられるような人材になりませんか?と。

 別に高額な報酬でなくともよいんです。それよりも、ちょっとの稼働でそれなりの報酬が得られる仕事のほうがいいですよね。

 あ、そうそう、別に外に出なくとも、ずっと同じ会社にとどまるでもいいんですよ。自分の会社での地位、グレードを上げれば、やれる仕事も大きくなりますからね。

 扱える案件の規模を大きくしながら、常に自分の時給を上げる努力を続けていれば、社内でひとかどの人間になれます。

ノウハウはあげちゃいなさい、と

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斎藤一人 意訳 だいたいこんなことをおっしゃってます。

大金持ちも、月商400万の道を必ず通ってる。でも、もうその人にとって月商400万になるノウハウは、いらないもの。だから、ほとんどの金持ちは、気前よくそのノウハウをあげてるよ。あとは本書いたりね。
だから、そのノウハウをさらに高額で売りつけたりさ、そういう人間って、大したことないんだと思うよ。たまたま今金持ちなだけかもしんない。

本当の金持ちは、どんどん過去のノウハウを人に渡しちゃって、身軽になるから、またさらに金持ちになるためにノウハウが入ってくる。この繰り返しなんだよね。

予定→実践(の繰り返し)

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何時に帰る、と奥さんに約束するとかね。
まあもちろん約束は守るんだけど。

そういうさ、予定を立てて、それを実践していくことの繰り返しって、大事どころの話じゃないんだよ。

人生を決めていくんだよ。だって人生ってその延長線上にあるじゃん。

いろんな障壁があるじゃない。仕事終わりが読めないとか、飲み会で二次会誘われちゃいそうだなーとか、会議が長引きそうとか。。
そういうのを全部、引き受けて、予定を宣言、遂行してくわけ。

それって人生そのものじゃない。

だから、今日何時に帰る、ってとこからジョジョに1週間/1か月先までスケジューリングしていって、そしてもちろんそれを実現させて!

最終的には年単位で実現させていくんだよ。

そうじゃないと、会社でいうと上司に人生決められちゃうわけでしょ。
それでいいの?って俺は思うんだ。

もはや、完全に、誰かに人生をゆだねちゃってるヤツのいかに多いことか。。
はっきりいわせてもらうと、それ、気持ち悪いんだよね見ていて。

それは生きているといえるのか?ぐらいに思ってっから。

最初のいーっぽ、じゃなくて一手

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重要なのは「最初の一手」なんです。

「ごろっと」「『人生』とやら」を転がしてみること。

これこそが「小損」に他ならない。だって、けっこうめんどいですからねえ。


「文句言いながらも現状維持」は、ラクです。でもね、「ぬるい」。というかぬるすぎます。

自分にこんな仕事ふるんじゃねーよ、オレは●●エンジニアなのになんで△△のタスクふろうとするわけ?
と、全力で断って現状維持、っていう方、多いですよね。

ここのエンジニアライフでも何回か書いたと思いますがこのドッグイヤーの21世紀で、しかもIT業界で、現状維持は後退とイコールですからね。


「ごろっと」人生とやらを動かしてみると、あとはなんだかしらないけれど転がっていくことが多いです。(私の経験上)

で、この最初の一手が、ヒトによって全く!違うんです。手法/アプローチが。

まず、この一手をどうするか、どう動くかは、基本的には自分が、死ぬほど考えなきゃならない。

♯あとで書くのを忘れてしまうような気がするので今大事なことを書きますが、死ぬほど考えた結果として偶然がやってきます。つまり、はためからみると最初の一手は偶然に左右されているようにみえる、けれども、その偶然は自分の思考が引き寄せているもので、その偶然の「品質」も、そこまでの自分の思考の品質に依存します。とてもわかりやすくたとえれば(あくまでわかりやすくしてるだけです)、ポジティブに死ぬほど思考している人間にはポジティブな偶然がやってきますし、また逆もしかり

自分がどうすべきか? は、最終的には自分じゃないとわからんのです。

にも関わらず!この、自分で考えなきゃいけないところを「ショーバイ」にしている方々が、たくさんいるんです。いわゆる「自己啓発」方面とか。。ギロッポンに住んでる怪しい横文字ビジネスに従事しているヒトたちとか。。

まぁ占い師もそうですね(笑)

本来マニュアル化できないはずのところをマニュアル化/パッケージ化して、「高く」売っているショーバイは、100%インチキです。

「小損をとらなければいけない」ところを、損なんかとらなくてもいいんだよ、と優しく近づいてくるヒトたちの口車にのってはいけません。大損します。

ただし!2000円前後、すなわちハードカバーの値段ぐらいは「高い」には入りません。われわれは、そのぐらいは糸目をつけずに買わなきゃいけないんです。

ここが説明が難しいところで。。絶対にマニュアル化はできないのですが、他人の経験は参考になります。他人の経験は、本として売っていることが多いので、鵜呑みにしない前提で、インプットする必要は、(これも)絶対にあります。

2000*20=40000円で、20人(あるいは団体)の体験談をインプットすることができます。これぐらいの投資は必要です。
10万円とかのセミナーはインチキです。「インチキ」は語弊があるかもしれませんが、そのセミナーの内容はアナタにはぴったりフィットしません。そして2000円ぐらいの価値しかありません。だから本屋にいって本を買ったほうがいいです。


「成功法則には汎用的な解はないと知るのが成功法則」。

本は、むっちゃローリスクです。安価で知識を得ることができます。(それを教養まで落とし込むのはそのヒトの努力が必要ですが)


10万円とかのセミナーというのは結婚相談所とかそういう系の合コンとか、そういうのに近いかな。。彼らは高いカネを要求しますが。。確かに「場」を提供したり、ノウハウをパッケージ化して提供してくれたりしますが、それで自動的に結婚できるわけではないでしょう。

どこかの誰かと一緒に「結婚」というレールを敷くのはあなたですからねえ。誰もやってくれませんし。
ここで「小損」をとっていく必要がありますよね。アプローチして、トークして、アピールして、etc。。
どこかまではレディメードのマニュアルでよいですが、相手があることですから、どこかからは必ずオーダーメイドになります。自分で考えて自分でやらなきゃいけません。

でもね、そのケッコン相談所とやらに「登録する」っていう行為は「ごろっ」かもしれないんですよね。。
死ぬほど考え抜いた結果としてその行動にたどりついたのであれば、それでよいんです。

 

(まだいるの?)自分探しとやらを続ける人間

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自分さがしをし続ける人間、に対して昔はカンゼン否定していたけど今はそうでもない。
まあ同情はするよ、と。

自分さがしをする理由はたぶん「不安」からくるものだよね。
それと、本人は気づいてないらしいが「プライド」。自分はこんなもんじゃない、と。ひと皮むけたい、とか?レベルアップしたいとか? だったら勉強とか仕事すりゃいいじゃんよ。

何か「偽って」生きていると。。世の中に対して。そこからくる不安、不満。
自分を偽らなくていいワールドを探す旅。。違うんだってば、自分を偽って生きている「今、ここ」でアナタ自身がすぱっと偽るのをやめればいい話なんだよね。

それができないってんだったらただ単に「世間体」やらマスゴミやらに負けてるだけ。隷属しているだけ。
ま、一生そのままだわね。


たぶん、「やすらぎ」とかさ、ほんわかした感じ?「幸福感」みたいな?そういうのを継続的に得ることができるようになれば自分さがしは終了~なんだろうね。

つまり、ゴールや目標すら設定せずなんとなく今の環境と自分がいやで「旅」に出る、ってのは、まあそうしたいならすればいいけど効果を期待すんなよ、と。

じゃなくて最初っから「幸福感」をターゲットにすりゃいいのよ。

そこまで方向修正してくれたら、あとは最適なソリューションを教えてあげられる。
それはね、「与える」ことだよ、ひたすら。

これを続けてると前述した自分を偽ってるような感じも、少しずつなくなっちゃうから。

不安もなくなる。
与える、ってもちろん見返りを期待しない「与え」だよ?

「与える」ってどうすればいいの?という問いは、具体的に考えなよって。
「親切にする」と似てるっちゃ似てる。

アナタの「性根を叩き直すため」に、自分本位から他人本位の人生にシフトしてみなさいよ、ということ。
それですべてが解決します。
まあ、やらないだろうけどね。

「ありのままに感じる」ことの大事さ

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俺の人生におけるさまざまな体験や、読書や、その他etcから、導き出された?つーか、

カンタンにいうと「ありのままに感じる」ってのがどんなにか大事かってこと。

でもよく考えればけっこう昔からそれを知っていたというか実践していたというか。。

何かしらの(主に負の)感情が「まさに、押し寄せてくんとす」って瞬間にさ、その感情に「レッテル貼り」するのを一拍だけ待つというかね。
まあそれだけなんだけどね。それが大事なのよ。

まあよくあるのは怒りだよね。なんでこんなに、生きてると、怒りを引き起こそうとする「何か」が押し寄せてくるのか。。
何か(間違いなく不快に違いない出来事)が起こり、ぐわーっと「重い」感情が身体から沸き起こってくるときに、それは間違いなく「怒り」になるんだけど、その一瞬前にさ、「あれ、怒るわけ?なんでこんなので怒っちゃうわけ?」と。

なんつったらいいんだろ、その感情を一瞬「品定め」する時間というか。。「規模感」?「感情の種類」?よくわかりませんが。。

あのね、そこで一瞬せきとめたところで、押し返せるわけじゃないんだよ。結局正当な怒りは怒りになっちゃうんだから。

何かが押し寄せてきてふーっと深呼吸したら「怒り」が鎮まった。。とかんなことあるわけないじゃんよ。自己啓発セミナーじゃあるまいし。

でも一瞬品定めするクセは大事だよ。俺はそれによりけっこう人生変わったもんな。少しずつだけど。

あ、そうそう、これはただの「訓練」だよ。淡々とやるの。なんの見返りも期待せず。