元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

人生は全員勝者でも別にかまわないんだよ

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(自分が完ぺきに実践できているわけではないが。。。)

まず人生はゲームである、と。これは、強く強く認識していたほうがいい。

ゲームだから、局面局面で勝ち負けは発生する。それは、当然のことで、人生ゲームというやつを面白くするためのスパイスである。

そして、実は、勝ったり負けたりは勝ったり負けたりしてるように思えるだけである。錯覚。気のせい。

つまり。。
人生ゲームは勝者がいて勝者が存在するために一定数の敗者が必要、というルールではない。全員勝者でゴールしてもぜんぜん構わない。誰もが勝者になれる。いや、誰もが勝者に「なる」。究極的には。

もっというと実は人間として生まれ、育っている時点で勝利はしている。あとはどうゲームを、スパイスをまじえながら進めていくかだけである。

もっともっというと実は、この時代のこの国に生まれているだけで勝者、どころかアイテムはほとんどもっているから、むっちゃ有利にゲームを進めることができる。たとえば内戦がないとか(150年ちみどろの内戦はない)、他国からの侵略がないとか(71年侵略されてない)


ここまでが大前提。
で現実に即した本題なんだが。。勝者が勝者になるゲームをやっている、わりには、人生ではさまざまなタイプの「むかつくヤツ」があらわれ、そして自分を不快にさせる。

これは、さっきも書いたとおりゲームなもんで、あんまり進む道が単調だとつまらんでしょ。だから登場するわけ。

もっというと、アナタが「こういうむかつくヤツが登場しないとつまらんだろうなあ」とゲームに登場させてんのね、究極的には。

つまり、自分が引き起こしてるのだと知ること。「神の試練!」とかおおげさに考えることじゃない。神の試練はたとえば大震災とか。何十億の人間が毎日誰に会うとか誰に罵倒されるとかそんな細かいこと、神の差配であるわけがない。

もうひとつ知っておくべきことはね、最初に、人生はゲームであると書いたけど、俺らの知ってるゲームのほとんどは成長譚でしょ。そこに異論はないだろう。いや、ゲームイコール成長譚と断言したいぐらいだ俺は。

苦難を乗り越え仲間とともに成長していく。たまに恋愛とか結婚とかしちゃったりして。
「苦難を乗り越え」は所与の条件なのよ。成長するために必要なわけ。

自分がゲームの最中にいることに文句いったってしょうがねんだよ。「それぞれの人生ゲームを遂行すること」がデフォルトで俺たちに与えられてるミッションなんだから。
前提なの。

そしてなんと!先ほどかいたとおり、ふつーにがんばれば勝てる!というゲームに参加させてもらってるわけ。そう、じつはみんなが思ってるよりは難易度高くはないのよ。

ただ、「どこであがるか」なんだよね。。成長譚なんだからある程度成長して仲間やら、配偶者やら、モノやらカネやら、まあなんでもいいんだけど、そういうのをゲットして上がることもできるし、ゲット「しない」選択もありなんだよね。それも自分の選択なんだよね。

まぁふつうに考えれば、苦難を回避すればストレスは減るかもしれないけど、得るものは減るわね。で、その状態で「あがり」してもいい。別に止めはしないよ、と。


そうそう、またむかつくヤツの話に戻るんだけど、これが結論、かな? かなり書ききるのが難しいかもいれないが。。

人生におけるむかつくヤツ対処法は、まずは回避することなんだよ。これは、正しいの。「逃げ」でもいいや、自他ともに逃げと思われても、別にかまわんよ。

ゲームだって玉がきたらよけるでしょ。インベーダーの時代からそうじゃん。

1回目の回避スキルを上げておくと、まずそこで8割ぐらいは「再発」しない。が、逃げてばかりはいられない。かならず「ぶちあたる」ときはくる。

それが「苦難」だから、そこで初めて、「乗り越え」が発動されるわけね。

なんでもかんでもぶちあたってたら即ゲームオーバーだから。だから回避スキルって重要なのよ。「やりすごすすべ」とでもいおうか。

ただね、これが、日本人に多いんだけど。。2回目の回避スキルとでもいおうか。1回目の回避スキルでもかならず何かしら自分にぶちあたってくるんだよ、ゲームなんだから。

ところが、それがきたときに「対峙しない」というかね、受容「しちゃう」というか。あえて厳しい言い方すると屈服する。服従するっていう感じで「回避」しちゃうわけ。

そうすっとそれがストレスになって、ストレスをためながら死んでいく。だってすべてのぶちあたってくるものたちに対してそういう対応をするんだから、ストレスがたまるのは当たり前だよな。

まあそれでも勝ちっちゃ勝ちなんだけどね。大勝ちではない。
最初に書いたとおりもはや内戦とか戦争とかはないわけだから、隷属しても殺されるわけではないから、そういうやり方もありなんだよね。
隷属いたら即殺される、だったら、誰もやらないでしょ。

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人生ゲームにおけるそういう試練系は自分を成長させるため、なんだけれど、なぜ成長するか?はふたつのパターンがあるのね。それは、自分の長所がますます強くなるか、自分の短所が減るか。
そういう試練に遭遇して、対峙して、創意工夫してそれをやっつける過程で苦手だったことができるようになったり(苦手イコール短所ね)、あるいはもともとの自分の長所でもってやっつけるんだったら強くなるよね。

むかつくヤツ、にひきつけて考えると、長所でもってやっつけるのは、ライバルだよね。ライバルって自分と似たニオイを感じるがゆえにむかついたりするじゃん。
で、おたがいの得意分野が一致していて、その分野で競うわけでしょ。そりゃ伸びるよね。

短所を減らす方向のケースは、そのむかつくヤツは「自分と同じ弱さ」をもってる人間。成長譚なのだから、その「弱さ」をもっているうちはどこまでもそういうヤツがふらーっと引き寄せられる。類ともだしね。

自分と同じ弱さをもっている人間があらわれるとむかつくんだよね。。で最初はその理由がわからんのよ。つか自分もまったく同じ弱さ(ほぼイコールで短所)を持っていることに気づいてないのね。でもすぐに、うすうす気づいてくるんだけど、認めるまではいたらない。

でも「認める」ことができれば、その短所はすーっと減っていく。なくなるかもしれない。そのむかつくヤツも同じ。自分が認めることで相手にも良い作用を及ぼすことができる。

でもね、100%そうじゃないけど。なぜなら、ゲームで登場する、弱さをもったむかつくヤツって高い確率で俺とかアナタよりも人間としてできてないから。
でもまあ、そのむかつく相手もアナタと対峙することにより少しは良い影響を及ぼされる。だから、結果は気にしなくてもいい。ゼッタイに影響はしあうんだから。そいつがなんも変わらんようにみえてもほっとけばいい。バイバイすればいい。

でね、自分と同じ長所を持っている人間があらわれてけしかけられたときにそっこー負けを認めたりとかさ(従属)自分と同じ弱さをもった人間があらわれたときにそいつに対して対峙せず卑屈になっちゃったりとか、あるいは傷をなめあっちゃったりとか?
そういう対処法も、あるっちゃある。でもおすすめはしない。それでは人生大勝ちはできないし、常に通奏低音を抱えたまま小勝ちで死ぬことになる。
たとえれば「メダルを狙っていたのに7位入賞」とかね、そんな感じね。

自分に甘くすることができる頃合い

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何年もかかるけどもたとえば良質な生活習慣がある程度確立されて、あ、もう大丈夫なんだな、と思ったところで、自分に甘くすることができる。

それが、ごほうびだよね。

そのころ合いは、難しそうだ。自分は、どのぐらいからだったか。。

もとの怠惰な自分にはもう戻らないだろう、という確信を得るとき。

戻ってしまうってことは、そっちのほうがラクで楽しいってことだよね。戻らないということはもはやそっちが「どろどろ」してみえるんだよね。

怠惰な自分が「ダサ!」みたいな。

ごほうびって具体的になに、といえば、無期限でその生活習慣をストップすること。

おいしいものをむさぼり食うように、その他、享楽にふけるかのように、良質な生活習慣がない生活を満喫する。

自分には「いつでも戻っておいでー」と。

で、だいたいイヤんなって戻ってきます。ホントに。嫌悪している自分になっていくからね。そうなってしまわないように、ある程度の生活ができている、節制のできている自分に感謝しながら、戻ってゆく。

自分と、内面の自分との関係性が、強固になる。

あとはね、なんか身体が疲れたなー、と思ったら、日次の習慣、ルーティンは休んだらいい。疲れがとれるまで。

心底休めるからw

で、身体が元気になったら戻る。つまりね、生活を維持するってのはね、パワーがいることなんだよ。健康じゃないとできないってこと。

第六感によばれたら、行くんだよ!?

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相手?は時間の概念ないんだから(笑

でも夜は第六感は出てこない?ってか、そうじゃなくって、夜は夢ん中で大活躍されている。
夜は第六感は「主体」なわけ。言い方変えると夢ん中は「オレ」自身の意思は主体じゃない。脇役。

昼間は完全に俺が主役(「になってしまっている」という言い方もできる)。

ふっと思いつくアイディアとかさ、おかまいなしじゃん。たとえば会議中だったり。
手がはなせないときのほうが多いよね。
つまり、アイディアは出ろ出ろと願うときは出ないっていうこと。

話ちょっと違うけど「便意」だっておかまいなしじゃん?
逆に、催してほしくないときに限って催したりする。

第六感が現出?するときっていうのは、地上界の状況なぞおかまいなしw 俺ごときのどんな用件よりも大事(なはず)。

欲をかかない

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オレが今中流の生活を維持できている勝因のひとつはね、「日常を生きる覚悟」を早々に決めたわけよ。かなりはやいうちに。


なぜ早く覚悟を決められたかというとね、ホント不安定な、そして不安な人生だったから。
強く強く、尋常じゃないぐらいう日常にあこがれたわけ。

つまり、ゴールがそこだったのね。
ゴールが「日常」とか「中流」でホントよかったと思うのよ。
「欲をかかない」っていうことなの。ポイントは。

「いいとこどり」をしようとする人間は、大成しない。

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いろんな人、概ね、世間的には成功したと思われている人たちの生き方の「いいとこどり」(暗部ではなく)をしようとする人間は、大成しない。
それは、断言できる。

そして、俺も同じ。

大成しないけれど、なーんもしない人よりは、ね。。中流な生活ができる可能性は、高まる。

大成したいんなら、「わきめもふらずどっぷり」だよ。これが実はいちばん近道なんだ。
とあるメンターのすべてをまねをする。いいとこどりだけじゃなく暗部も、ね。

ということは、そうなりたい人を見つけるってことだな。それはもちろん、死んじゃった人でも、あったこともない遠い人でも、かまわない。

俺は成功というよりは、確かに、いいとこどりなんだけれど、いかに人生を幸福に「終わらせるか」をターゲットにしている感じ。

カネ儲けする、ってさ。。

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マネタイズだの?不労所得がどうのこうのだの、そういうのに血眼になるんじゃなくって。。

そもそも、「その人」に魅力があること、というのが絶対条件だってことに気づかんかねえ?

そこを避けて通って、ちまちまと、かつ貪欲に生きるのに精いっぱいで。。
そこそこカネは稼いでいるがそれ以上に絶対ならないってヤツが多すぎる。

「人物」と金が直結しなかったのは20世紀の話であってさ、21世紀は「人物」そのものがマネタイズだと思うんだがなあ。

(まず)「給料もらえるだけありがたいと思いなさい」

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この話は重要。

斎藤一人さんはね、戦略として、奉仕の心で働いて、わずかな給料でももらえることに感謝せよと。
給料もらえるだけありがたいと思いなさいと。

客には親切にしなさい、いや誰にでも親切にしなさい、見返りを求めるな、と。

ぐうの音も出ない正論だわね。

でもこれらはすべて、儲けるためにやりなさいといってるだけなんだよ。
別にいやらしい話じゃない。一人さんはずーっと商人道を説いてるだけなんだから。そこにブレはない。

儲けるためにやる、という言葉にアレルギーを起こすほうが、実は間違い。

松下幸之助であれば納得感あるんなら(笑)、松下翁が最初にいってんだよ。商人は堂々と儲けなさいと。
商人として社会に貢献してそして「正当な見返りを受け取りなさい」。これが「儲け」だよね。

いやあのさ、承認の儲けって必ずしもぜんぶ懐に入るわけじゃないよ。
特に日本では7割税金じゃん(苦笑)。それだけでも庶民は金持ちに感謝しろって。その税金が社会インフラに還元されてんだから。

儲けを、がっぽりいただくんじゃなくてさらにそのうちの多くは投資に回すんだろ、商人ってのは。