元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

財布に現ナマがいくら入ってるかで「甲斐性」が競われるわけではないのが嬉しい

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財布の中にめったに万札が常駐しなくなってもう何年経ったろうか
現金支出が激減しただけで可処分所得が減ったわけでもなく、でも、生活は豊かになったような気がする。
最初はやっぱり。。飲食店。現金しか使えない店を切り捨てていくという行為はなんというか、自分のレベルが下がっていってるのではないか?という気分がなきにしもあらずだった。
でも、よく考えたらステータスのある店ははるか昔からカード決済してたわけでね。
現ナマという存在になぜこれほどこだわるか(対峙する姿勢なのか)と考えるに、これは前も書いたけどやはり自分は過去に現ナマになかなか苦労させられたので、根に持ってるっていうのはあると思う(笑)
話はとぶんだけど特にスポーツ選手とかで、「夢」をそのままゼニ金に置き換える人が昔から多いんだけど、あれはなんでなんだろうね?
子供たちに夢を与えたい→うまいもん食べて外車乗りまわす
とか、なんでそんな短絡的なんだろ?っていうのは昔っから思ってたんだけど、でもそれはちょうど自分が現ナマに苦労していた時期と重なっていたので、ただの嫉妬なんだろうなと整理していた時期もあったんだが
でもホント、それ間違ってね? っていうのは、この歳になってあらためて言いたいね。
それってけっこう、子供という存在をバカにしてんだよね。子供の夢イコール金持ちだと思ってねえか?
多くの日本の子供はそうは思ってねえぞ?と