元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

身の周り

stevengerrard.hatenablog.com

自分の身の回りでなにか「とげとげしい」ことが頻繁に(それぞれは小さいことでも)起こっているときは、自分の生活の何かが間違っている。

ところで、世界のどこか、テレビの向こう側で悲惨な戦いが繰り広げられていたとしてもそれはアナタの生活の何かが間違っているわけではない。
自分が行ってない場所で起こっている出来事は、テレビやネットが「余計なお世話」してくれてるだけでアナタの人生にはなんの関係もない。
そう思っていて別に逮捕されるわけでもないし、他人に非難される筋合いもない。
大事なのはそう思っても黙ってるこった(オレみたいにこのように公表せずに!)

おっとまた話がそれた。大事なのは「身の回り」で起こっていること。それを注意深く、できるかぎり客観的に観察していくこと。

自分の生活が間違っていないときは、(残念ながら)何も起こらない。平穏無事な、穏やかな生活。
「穏やかな生活」ってのは、極上だ。ほとんどの日本人はそれを知らないらしいが。。

自分の生活が間違っていないときは「楽しいことばかり起こる」ではない。楽しいことばかり起こるのは(当然)何かどかーんと悪いことが起こる前触れ。
それも、知らない日本人が多いが。。

つまり、だ。なんか自分の器を超えるぐらいの楽しいことが頻発しているときも、自分の生活の何かが「間違ってる」わけ。間違ってるっていうのは必ずしも善悪のうちの「悪」ってことじゃないよ。
いってみれば「身の丈にあってない」ってことだよね。

だから、「わかってらっしゃる人」ほど、自分の人生で楽しいことがバンバン起こっているときに、逆に警戒する。具体的にいうと、生活を「慎む」んだよね。


あそれとね、もうひとつほとんどの人が知らない、けっこう重要なこと書くけども。。
穏やかな生活ってのは平々凡々なる生活じゃないんだよ。ここが重要。

自分の人生を平々凡々などと形容しているときは不満感ありありじゃない。ありていにいえば「つまんない」んだよね。
満足感が極小。さっき書いた「楽しいこと」がどかんどかん起きてくれと願う。決して穏やかな生活は望まない。

当然!こういうときも、アナタの生活の何かが、間違っている。
はためからみて、アナタの生活が「穏やか」だろうが「平々凡々」だろうが、まったく変わらないようにみえる。
が、本人のこころ持ちは全く違う。

自分の生活が平々凡々なとき、何が間違ってるか?
それはね、行動してないんだよね。「プチ」チャレンジしてないの。生活の局面局面で。
胸に手を当てて考えてみると実はわかる。ま、そういうときは自分の内面と向きあおうなんて「勇気」は凡人はほとんど持てないんだが。
その「勇気」さえ持てれば人生開けていくんだよね。