元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

いっぱいいっぱいという、自由。

ameblo.jp

自分でいっぱいいっぱいで他人にガチで興味がないことで、人生においてどれだけ自由だったかしれない。

特に「うらやましい」という感情がない。(むかしはあった)

「うらやましい」っていう感情は、かなりやっかいだと思うのね。自分も持ってたからわかるけど。。

常に自分の「屋台骨」が揺らぎ続けている、みたいなさ。


でさ、うらやましくない理由はもしかしたら自分のほうが「優れている」と思っているのか、あるいは思いたいからなのかな、なんて考えていたんだけど。。

「優れてる」わけでもないし。でもね、「これでいい」とは思ってんのよ。つまりね、「フィット」してるわけ。自分の素養とかポテンシャルに対して、今の自分の生活は「フィット」している。

たとえばね、超背伸びして浪人して難しい大学に入って、入ってから苦労した、とかさ。。(結局卒業できなかったとか、実際オレの知り合いでいたし)
逆に、物足りなさ過ぎてつまんねーとか。。そういうのが、ない。

フィットしてるから周りが気にならないしましてはうらやましくもないのは当然なのだろう。

自分のポテンシャルに対して物足りねー生活を送っているヤツも、ポテンシャルを超えた超難しい仕事で四苦八苦してるヤツも、そりゃ他人がうらやましいだろう。
楽しそうにみえるだろう。

ま、カラ元気でもいいから一生懸命生きるこった。ありきたりな結論(笑)。

でね、「自分にいっぱいいっぱい」ってのはね、その、自分のポテンシャルを自分にフィットさせることにいっぱいいっぱいだった、ってこと。
この過程を、ほとんどの日本人は踏んでないんじゃない?
この過程ってのはけっこう内省的になるけど、経験しておく必要があるんじゃないかな。