「アソぶ」論ふたたび
現代人は遊ばなければならない、っていうのは絶対的に正しいわけね。
でもね、それは
「夏になったら海水浴」とかさ、花火とか祭りとか、冬になったらスキーとかさ、そういう「大衆の行動に迎合する」のとは違うと思うのね。迎合するのは「遊ぶ」ではないのよ。
アナタのスケジュールは、人の集まるところへ、あっちへふらふら~、こっちへふらふら~、することをスケジューリングしてゆくわけね。
だ・か・ら それのどこが「アソビ」なの?っていいたいわけ。
日本人の自称中流階級の99%は遊び方を間違ってる、つーか根本的に遊び方を「知らない」のね。
ゆえにけっこう遊んでるフリしてるヤツも実は遊んでない。ソイツはいってみれば「ふらふらしてる」だけじゃんよ、いい歳コイて。
でまあ、99%の大衆は真の意味で遊ばないまま死んでいくわけよ。かわいそうに。でも本人はまあ遊んだかな、なんてちょっと満足して死んでゆくわけだから、ま別にいいんだけど。
「正しいことを知らない」ってのがかわいそうなんだよ。
遊ぶってのは仕事の中にあるのかもしれないんだぜ。なんていうと、パンピーは「?」となったり、あとはなぜかキレだしたりするんだよな。器がちいせーから。
そうそう、こういうことを書いてると「じゃあテメーの考えるアソビってなんだよ!」とかキレだすヤツもいるし。「ホントウノコト」を突かれてどきっとしちゃうんだよね。
オレは「気付かないのがかわいそう」と思っているわけだが、気づいてしまうのもかわいそうかもしれないんだよね。だって大衆マインドで真のアソビに気づいてしまってもどうせやれないから。悶々としてしまうよね。