「小馬鹿にされてる感」
ムカシムカシ何かで読んだ手塚治虫さんの生前のコトバ
「漫画を描きたかったら漫画を読むな」(映画、音楽、小説を吸収しろ)をずっと気にしながら仕事してきたように思う。
今ハヤりのフレーズでいえば、このコトバに「腹落ち」したというか。
この考え方はどのビジネスでもあてはまると思うし、いわゆるITだって同じだ。
漫画だって絵描きだって建築だってシステムだって、同じ専門職だからな。
そういうモットーで10年以上、このギョーカイに棲息してきたから、ギョーカイに常に違和感を感じているし、ぶっちゃけこのギョーカイはキライだ、と公言している。
つまり、漫画を描きたいからマンガを読むヒトがほとんどなわけです。漫画を描きたいと思ったヒトに対してまずマンガを読め、と薦めてマンガ漬けにさせてしまうのがこのギョーカイ。
なぜマンガ漬けにさせてしまうかっていうと、このギョーカイは一方でマンガを売って商売したいわけだよ。同じギョーカイ内で。ギョーカイ内じゃなきゃ、売れないマンガだから。
ちょっとは夢を持ってこのギョーカイに入ってくるヤツらに、最初にツバつけて売りつけて、継続して買わせて、客になってもらう。
そういう内輪だけで成り立ってる商売も側面として、ある。が、そういうことに気付かされていないヤツがほとんどであると見受けられる。
僕は、マンガを読まないとはいってない。でも、マンガ漬けにはなっていない。
漫画を描くための技術をマンガを読んで学ばなければならないこともある。そういうときは、集中して。短時間で。(そして、できれば安く)
でもね、良い漫画を描きたいという思いは、相当強いと自負している。
良い漫画を描くためにあえてマンガを読んでしまってマネっこしたくない、ということ。僕の思う良い漫画とは、ただウマいだけじゃなく、個性が強烈な漫画ということだ。
そこがニッチであり、このギョーカイにおいて食い込みどころだと考えている。
(ちなみに、たとえですからね、このハナシは)
こんな僕でも放逐されずになんとか生き抜いている。こんな僕にもカネを支払ってくれる会社があるということは、評価してくれるヒトからみれば、僕の描いたアウトプットは僕の思惑どおりに、個性的な漫画になっているということなのだろう。
ただし、僕の姿勢を評価してくれるヒトは、存在はするけれども少ないことだけははっきりしている。漫画を描きたいというヒトたちを取り込んでマンガ漬けにしてしまうようなギョーカイでは、僕や僕を評価してくれるヒトたちというのはマイナーな存在であり続けるに違いない。