元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

解釈の違い?

stevengerrard.hatenablog.com

解釈は確かに、好きじゃなかったですね、ムカシから。

映画を観た後のシチュエーションとか。。

エンディングの意味って本当は? みたいなことを他人に聞いて知りたがるヒトは、リアルに理解度が低い(「映画リテラシー」が低い)か、他人の解釈を聞いて安心したいだけなんですよね。

とある映画を共有すれば、各々が言語化できない思いを腹の中に落とし込む。それは「何か」と問われれば、多分にそれは、そのヒトの過去の人生経験に拠るものです。つまり、そのヒトのフィルタを通した「解釈」なわけですが、それは、「説明用」が必要なのであれば上っ面の解釈をでっちあげて意識の表層においておけばいい(他人から説明を求められたときにいつでも取り出せるよう)のでしょうけど、深いところに沈ませておく真の「解釈」のようなものはなまじっか表出させないほうがいいような気がするのです。

でも。。そういえば学校の現国って、すべてが「解釈」の訓練でしたねえ。。

しかも、なぜか「模範解答」がある。

でもまァ、あの過程を経ないと独自解釈など生まれてこないのでしょう。あそこのレベルで留まっているヒトが、ヒトの解釈を聞きたくて仕方がないようなヒトなんでしょうね。

世の中のすべての事象には「模範解答」があると頑なに信じている、あるいは、マスコミの洗脳によりそう信じさせられているヒトたち。