元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

地図に残る仕事、みたいな

ameblo.jp

どこかのゼネコンのコピーで「地図に残る仕事」というのがありますね。

まァ確かに、自分の子供たちにお父さんがやった仕事を伝えたいと(どうだ、すごいだろ!と。。)いう願望は、あります。(そしてもちろん、一定の「尊敬」の念を集めたいものです)

プロジェクトXはまさに我々の願望を具現化したような番組でしたね。。



「●●社(結構著名な)のシステムを手がけた」というのは、いくつかいえるのでしょう。そのシステム構築の末端の作業者であったとしても、携わったのには間違いないわけですから。そういうのはけっこう、あります。

でも、地図には残りませんが。。

かなり前に、某社の初めての通販サイトの構築PJでインフラを担当したのですが、それはURLたたけば今も出てきますので、自分の経歴を紹介したりアピールするときにわかりやすいですし、子供にも受けがよかったです。

つまり、URLが我々でいう「地図」みたいなものなのでしょうか。

でも、インフラを構築しただけなのに「ふーんおとうさんこれ(通販サイトすべて)ひとりでつくったの?」といわれてしまいましたが。。 サイトというのは物理的な「ビルディング」とは違うので、子供には、サイトを構築するのに膨大な人月と期間(そしてお金)が必要なのだ、ということはわからないのですね。うちの近所の建設中のマンションだったら、「みんなで力をあわせて建てるんだよ」と説明すればわかってもらえるのですが。

個人のサイト、たとえばfacebookのウォールとか一瞬でつくれますから、その延長上で考えてしまうのもむべなるかな、という感じはします。



子供が小学校に入ると「おとうさんは何の仕事してるの?」と聞いてきますよね。学校の宿題で書かされたりするのでしょう。子供には、父親の仕事は「自営業(コンピュータ関係)」といっとけ、といってあります。

子供にしてみれば自分の父親が「カッコいい」仕事をしていればクラスで鼻高々なのでしょうし、時代によって「トレンド」はあるようです。ちなみに「ウチのパパは『社長』なんだ」というのはいつの時代も鉄板のようで。。(会社規模とは関係なく)残念ながら僕はあくまで「自営業」であって社長ではなく。。子供らの考える「社長」というのは、背広着て部下に指示しているイメージがあるようですね。



某大手に常駐していたときは、「おとうさんは●●(子供からオトナまで知っている会社の名前)のお手伝いをしてるんだよ」といってみたこともありましたが、子供はまったくわかっていなかったと思います。「その会社で働いている」イコールその会社の社員である、とウチの子は考えているようで、それは子供にとってはごく自然な考え方なのでしょう。

子供というのは、会社はメンテナンスから派遣からパートナーから、たくさんの外部要員によって成り立っているのだということは、オトナになってから知るのでしょう。



ところで僕の父親はかつて、田舎のしがないサラリーマンで、東京に出張しては大企業の取引先と仕事してきた、と自慢していました。酒飲みながら「あの会社(大企業)を支えてるのはオレたちだ」ぐらいなことはいってましたね。。

ま、確かに、大手企業の下請けですから、(もっといえば、たくさんの下請けの会社のうちのひとつ)大手企業を支えている、という表現はまったく間違ってはいないのですが。。子供心に正直、ちょっとイヤでした。でも今となってみれば、あの頃の父親の気持ち(今の僕と同じぐらいの年代ですね)は、よぉくわかります。

社会の底辺層に「常駐」し、それなりに満足はしていても、たまにはスポットライトを浴びたいのです。



たとえば、夜の新橋のSL広場で、ほろ酔いでニュース番組のインタビューを受けるとか、ね。「今の政治は間違っとる!菅はみっともない、早く降りろ!」とカメラの前で吠えるとか。。(酔った勢いでときの総理大臣を呼び捨て。)

そんなスポットライトでも、よいではありませんか。