カネを扱える器
個人が、扱えるカネの額ってのはやっぱり、個人が稼ぐ額のキャパは超えないと思うんだよね。
それは、自分がフリーで仕事をしているから、痛切に思うんだけれども。。
銀行とか商事のヒトたちがカンタンに「億の仕事」という。。
いや、違うな、数億の仕事を「ちっちゃい」と感じるという事実。。
それに違和感を感じてしまうのは、オイラがそっち側の立場に立ったことがないからなのかな。
つまり、嫉妬してんのかな。
と、思ったりもしたんだけど、やっぱりぐるっと巡って、やっぱこの違和感は違うかな、と。単なる嫉妬ではないな、と。
自分のキャパを超えたとこで、会社の威光で仕事してさ、それで麻痺しちまってるヤツらがいっぱいいるなあ、というのは、いつも思う。
いやね、たまには、その、数億数十億の仕事にふさわしい器をもったヤツは、いるよ。
いるけど、それはほんの一握りであってね。
ほとんどの「組織の歯車」はね、ビッグビジネスではなくて、自分の稼ぎの範囲内でつつましく暮らすのがお似合いなんだよな。
逆に考えれば、アタリマエのことだけど、自分の年収をあげていけば、自分の、カネを扱えるキャパはひろがってゆく。
仕事の場で、案件規模がデカくなればなるほど、自分の給料って上がってゆくんだろうか? オイラはフリーだから詳しいことはわからんけど、サラリーマン社会って必ずしもそうじゃないような気がする。
自分の給料が上がらんのに、自分が扱う仕事の規模がデカくなってゆくとしたら。。これは一種のねじれ現象なんじゃないかと、思うんだけどなあ。
「見合わない」というか。。社員の給料を上げてやらにゃ、それなりの仕事やらすことのできる「器」にはなっていかないんじゃないかなあ。
ただ闇雲に、カネはやらんが経験だけはさせる、じゃあねえ。。
ついていかないんじゃないかなあ。
「カネはカネ、それはそれ」みたいな感じで、サラリーマン社会ってさ「給料が出るだけありがたいと思え」みたいな、カネのことは黙ってろ的な暗黙の了解があるよなあ。
オイラはそういうのはイヤだなあ。企業はどんだけサクシュしてんのか、と。それを少しは知ってるからな。