元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

初詣

初詣
初詣には毎年行くわけですが、「宗教」というキーワードから考えますと、彼ら(○○神宮とか△△神社とか)は、「何かをニギっているに違いない」 と、皆潜在的に思っているのですね。

「彼ら」は異世界とのインタフェースになっている(に違いない)と。そして、彼らはほんの少しだけ、「何か」をコントロールできるのかもしれな い、と。

だから我々は、少しだけ畏怖の念を「彼ら」に対して抱き、お賽銭を投げ入れたりムチャな願い事をしたり(願をかけるということはつまり、「彼ら」 が万能である「何か」とつながっていて、我々の願いを何とかしてくれるかもしれない、という期待があるからです)、破魔矢を買って「彼ら」の商業 行為に加担したりするわけです。

これは「ギブ&テイク」なのでしょうか。

私の周辺では、という限定ですが、新興宗教に初詣に行くヒトはいません。おそらくダメなんですよ、新興では。

おそらく、日本人のDNAにまでは浸透していないからです。

同じように、初詣に教会に行くヒトも、私は知らない。

でも実際問題、初詣に行かないからといって即座に車にひかれて死ぬわけでもないですし、初詣に行った足で車にひかれてしまうヒトもいます。

交通安全の飾りを車のフロントに貼り付けて、その足で正月に接触事故を起こしたヒトを私は2名、知っています。

現実はそんなものなのですが、そこで斜に構えてはいけないのでしょう。

宗教というのは、ココロに安静をもたらしてくれれば、それでいいのです。自己満足の世界で。

庶民が、初詣に行くことによりココロに安静がもたらされるのであれば、それを宗教的観点でどうこう言う必要はない。