元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

社会的動物

社会的動物

どこかに書いた、「真の柔軟性」のつづきですが。。(もう、忘れてしまっているので重複するかもしれませんけども)

かたくなに自分の主義を貫き通すことで、敵や軋轢をつくる人生が幸せとは限りません。自分の主義を貫き通した、という自己満足を得るかわり に何かを失ったり、それ以上の不満足感が生まれたりしますね。

ですから、ところどころで「柔軟性」を発揮して協調して、最適化をはかる必要があります。

そのさじ加減は確かに難しいのです。

現代人はそれを求められ、自分ですべてコントロールしなければならない「自由」を与えられたからこそ、生きずらくなっていると感じるヒトが 増えている、ともいえるのですね。(【重要】)

ムカシはもしかしたら、人生設計すらも「前例にならう」で「それなりの満足感」が得られていたのかもしれません。

でも、現代人は「それなりの満足感」では満足しなくなってしまった。。

それが不幸の始まりかも。。


もちろん、かたくなに自分を貫き通すことによる恍惚感がなにものにも換えがたい、というヒトは、敵や軋轢をつくろうがそれをやっていればい いわけでして。。

そういう「自由」もあります。ただし私はそういうヒトとお付き合いするのはイヤですし、そういうヒトから離れる「自由」もあります。

「さじ加減」を計るためには「自分を見つめる」作業が不可欠です。これがまた、キツいのですね。