元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

日課の徹底

2007-05-16 日課の徹底 
ヒトというのは、日々徹底して同じ日課を繰り返していたほうが、結局幸せになれるのではないか、と最近考え始めています。これは、確信に近いものです。(【重要】マーク)

たとえば、ヒトは絶対に寝なければなりませんが、そこで偽「個性」を発揮して「オレは寝ない」と高らかに宣言するヒトはいません。

寝ないヒトは究極の個性派だと思いますが。。自称「個性的なヒト」はここまで踏み込もうとはしませんね、当然。「できる範囲の」個性的にしかなりえません。


ヒトというのは、日々徹底して同じ日課を繰り返していたほうが、結局幸せになれるのではないか、と最近考え始めています。これは、確信に近いものです。(【重要】マーク)

たとえば、ヒトは絶対に寝なければなりませんが、そこで偽「個性」を発揮して「オレは寝ない」と高らかに宣言するヒトはいません。

寝ないヒトは究極の個性派だと思いますが。。自称「個性的なヒト」はここまで踏み込もうとはしませんね、当然。「できる範囲の」個性的にしかなりえません。

(略)
ムカシ、私は毎日毎日、年に355日ぐらいは、同じ内容の朝食でした。食パンにマーガリンとハム、紅茶とヨーグルト、などなど。

夕食も、母親の方針により、まず必ずごはんと味噌汁がありました。そして、ムカシの食卓ですから、テーブルの上に乗っている食事のうち何皿かは毎日同じメニューです。たとえばウチで漬けた漬物とか。自家製のふりかけとか。

たまに、アクセントとして、カレーの日があったり、味噌汁ではなくて洋風のスープの日があったりしましたが、年に340日ぐらいは「米」と「汁」を食べていました。

ところで、夏休みとか、休日の我が家の昼食は、徹底して軽食のローテーションでした。インスタントラーメン、焼きそば、うどん、そば、チャーハン、ピラフetc。夏は冷やし中華とか。

私は、出されたものを淡々と食べるタイプでしたので、特に不満はありませんでしたが。。 これも母親の方針だったのでしょう。

外食は、たまにしかなく、たまにしかないがゆえに、けっこう重要な家族の節目のイベントでした。特に、親戚が一同に会する1年あるいは数年に一度の会食は、ある程度高級なところに「お出かけ」することもあり、親戚どうしの昔話に後々までのぼるぐらいの一大イベントでした。

軽い外食はたまにありましたね。母親が不調のときとか。。 外食というよりは、記憶に残っているのは、出前ですかね。店屋もの。

今書き連ねたような生活って、けっこう幸せな状態ではないでしょうか。

(それに、作る側も、作るものが決まっていたほうが、楽では?)

そして、どこの一般家庭でも、おおよそこんな食生活でした。

でも、こういった選択の幅の少ない食卓を続けていた理由は、ホントは単にお金がなかったからでしょう?

節約することが、結果的に栄養上もより良い食事になり、規則的な生活にもつながり、皆が「地味に幸せ」であるという状態。

現代社会でも、栄養のことをホンキで考えて、バランスのよい食事になるようローテーションを考えて、あとはそのローテーションでずっと継続したほうが、幸せになるような気がするのです。

「たまには焼肉を食べたい!」とかありますが(私もあります)

それも、半年に1回とか、そういうローテーションに組み込んでしまえばいいのです。そうすればそれを楽しみに生きてゆくことができます。

ムカシの我が家も、給料日とかボーナスが出た日とかは、それなりに豪勢な食卓でした。それも立派なローテーションです。

月に一回(今考えれば、給料日の後)、日曜の昼は、皆でデパートに行き、レストランで食事をする、とか。。

すごく、幸せな光景だと思うんですけどね。

ムカシ、庶民が皆質素な暮らしをしていた時代、誰も彼もが抑圧されていたでしょうか? 誰も彼もぱーっと遊びたがったでしょうか? ある程度「日常」に満足していませんでしたか? そこに「諦観」はあったか? ほとんどなかったのではないだろうか?

前にも書きましたが、結局皆が皆、「身の程をわきまえていた」と、思うのです。(【重要】マーク)

現在、オトナのヒトたちの多くは、昭和の日本にノスタルジーを感じているのでしょう? それはつまり、貧乏な時代への郷愁です。貧乏な時代とは、ライフスタイルの選択範囲が少ないということです。そして、食事のえり好みもできないということです。

それでもいい、あるいは、そのほうがいい、ということでしょう?