元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

リトマス試験紙としての自分2

-リトマス試験紙としての自分2(20070829)

最近、ヒトの言うことをまったく聞かずに自分の意見ばかりを押し付けるヒトが多い、だから、会話が成り立たない、ということを書きましたが、正確にはそれは違うのではないか、と。

最近増殖しているのは、一見聞き上手のふりをして、あいづちも上手だったりするのだけれど、実はすべてスルーしているヒト、ですね。

聞いてあげて、話す、という、一見会話が成り立っているように思えるのですが、実は成り立っていない。ひととおり聞いてあげて、それを咀嚼してコトバを返すのではなく、意識的か無意識かわかりませんが完全スルーしているので、次の自分のコトバは、必然的に相手のコトバとは全く違うモノとなります。

何かに書いてありましたが、今はそれが、若い世代のふつーの日常会話だという話で。。

つまり、「聞く」能力が決定的に退化しているのですね。「聞く」というのは、単なる「音」として相手の発生する言語を聞き取ることではありません。

「聞いて、咀嚼して、理解する」という一連のプロセスのことです。

おそらく、「ディベート」の能力は、我々世代よりも下の世代のほうが圧倒的に進化しているのでしょう。でもそのディベート能力を得た代償として「聞く」能力を犠牲にしている。

このあたりも、アメリカの思想を間違って解釈していますよね。。