元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

サラリーマンじゃない「サラリーまん」のよりどころ

地域ニュースをみていると、地域活動とか、積極的に参加したいなあと思ってみたり。

いや、我ながら、それなりに、消極的に参加しているつもりではあるのですが。。
だからといって消防団だの、自治会だの、青年の部だのに属しているわけでもなく。。

若干、そういう組織に対してウサンクサいものを感じているのも、事実。

単なる田舎出身者だから、いくらその土地に長く住んでいるといっても、幼なじみがいるわけでもないですし。


以前読んだ、赤坂の地域の本で(以前赤坂で働いていたので)かつての日商岩井のサラリーマンは、赤坂の地域活動に参加していたのだそうです。
つまり、地元企業としてね。

それはなぜかといえば、家には寝に帰るだけだからなのですね。だから、そのサラリーマンの「地元」ってのは、日中にそこにいる、赤坂(働く場所)になってしまう。

それでいいのだろうか、と思ったりもしますが。。

でも、働くのも大事なわけです。
家族の食い扶持を稼ぐほうが、実は地域活動よりもものすごく大事なわけで。
まずはそこからなわけで。

夫というのは職場という「戦場」にずーっといてしまうものなのだ、ということ。


いっそのこと、企業というのは、社員の地域活動を査定に加えるべきですね。
そんなことはできるわけがないのですが。。
社員に、ボロ雑巾のように働いてほしいと願う会社が、社員の地域活動、奉仕活動によい顔をするわけがないのです。それはつまり、適度に家に帰るということなのですから。

ただし、たとえばその地域活動、奉仕活動が好評価でマスコミに出るようになると、会社側は豹変するのですが。
それを最大限に利用しようとする。それをやってるのはウチの社員なのです! 会社は、社員を早めにあがらせて地域活動をするよう強く奨励しているのです! と。


ところで僕ですが、僕は別にサラリーマンじゃないので、根城がないわけです。家しか。

家が根城だと、地域に関わらざるを得ないわけです。
にも関わらず、家にいる時間というのはサラリーマン並みなわけで。。

という意味では、自分の存在のよりどころ、アイデンティティのあたりでちょっと微妙だったりします。

僕のアイデンティティというのは、社会人になり、家族を持つようになり、常に頭の片隅で考えているような気がします。

でも、家族ができてホント、ラクになりました。よりどころができたという点で。。
自分のよりどころはここである! と他者に大声でいえるようになったので。