元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

和の習い事 給料は自動的に振り込まれるわけではない

トピック

  • 習い事

赤坂の芸者さんに関する地域本を読み進めているのですが、和の習い事っていいなあ、と思いました。小唄とか三味線とか、ぜひやってみたいです。my検討リストにいれておきます。

外食・食べることに関して

  • 品川のらーめん

活動・活動に関して(散歩、都市論etc)

  • 読後感

引き続き、芸者さんの本を読み進めての感想。
花柳界はこんなところでございます」

芸者さんに共感できるのは、まず、プロフェッショナルであること。次に、「教育」は済んでいて礼節の心配がいらなそうなことです。たとえば仕事でチームを組むと、「人として」欠けているものがあるが故に和を乱す人がいます。そういうとき、いろいろ教えてあげる必要があるのですが、なぜいっぱしの社会人に「躾」レベルのことを一から教えなければならないのか、と思うことが多々あります。しかも、大学を卒業し、名の通った企業に選抜されて入ってきた人ですらそうです。採用するときは学歴とか表面的な経歴よりもそういうところを重視してほしいものです。
そういう若手が中心になってくると「社会人として〜」を新しい若手に説いたりしますがそのくせ「人として」はなっていないままです。社会人として、利益を上げるためには「人として」をないがしろにしてよい、と無意識に考えています。


本によれば、今の若い子は厳しく習い事などで躾けるとすぐやめてしまうので昔より未熟なままデビューさせることもある、と。それにより、守り続けてきた良き伝統が失われてゆくことが危惧されているようです。どの世界でも同じようなことが起こっているのですね。


間違った教育により甘やかされて育ってはいるが「感性」だけは発達してきた「はず」の若い世代が日本の中心になってきたとき、日本は完全に三流国の仲間入りをするのではないか、とどなたかの日記でありましたが、「そんなことはないだろう」と弁護したくなる反面、おそらくそうなるのだろう、という諦めもあります。

自分は戦後の高度経済成長期というのを知りませんので、今の世の中を俯瞰すると、「そこまでアメリカナイズされなくともいいだろう、ここは日本なんだから」と素直に思います。伝統文化が民主主義の名目の下にどんどん破壊されている、というか、意図的に戦後世代が破壊しているように思いますが、その「手先」になっているのが、その子供の世代です。

http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061019


という意味での、冒頭に書いた和の習い事への回帰、なのですね。書き出してみて、なぜ自分がそういうものに興味を持ったのかがわかりました。


本には「ぜひ気軽に花柳界に遊びに来て」などと書いてありますが、そもそも未だに紹介制ですから。。 そのへん、矛盾しているような気がしないでもないですが。。


ただ、自分の予測を超えた範囲で、今の若い世代は、「日本ではない日本」を新たに形成してゆくパワーはあるのかもしれません。それは、自分の世代にとっては、住みずらい国なのでしょう。


ところで、もうひとつ芸者さんに共感できるのは、真に働いている男性、社会の前面に押し出されて「闘っている」世代は、本当にストレスがたまるものなのだということ、息抜きをする必要があるのだ、ということに対して理解があるということです。そこにつけこんで商売をしているのだ、といううがった見方もできそうですが、少なくとも彼女らは、芸によって本気でお客を慰労しようと思っているはずです。それがプロフェッショナリズムということでしょう。
そのあたりが、仕事の目的は同じであっても洋装の「クラブ」などと比べて「気合」が違うと感じさせるところです。


また、世の中の主婦層の方々は、男性は昼はおらず夜帰ってきても家のことを何もせずただぐうたらとしている存在、と思っており、昼、仕事に出かけている間に男性がどのぐらい神経をすり減らしているか、という事実から目をそむけている、というのが自分のイメージです。昼間いろいろなことがあっても、それは家庭に持ち込まず、家では何もなかったように振舞おう、という親しき間での「礼節」なのかもしれないのです。
重要なのはただ一点、定期的に給与が銀行に振り込まれているということです。これが当たり前のこと(主婦としての当然の権利)と思っている主婦層が多過ぎるのではないか、と思います。


仕事に対する理解がないから、男性はまっすぐ家に帰らないのでしょうし、花柳界というのは極端な例ですが、飲食業界、居酒屋などは繁盛するのでしょう。


たとえば節約する必要があるのであれば、夫の遊興費を減らしたい場合、そのような「理解」をもつことにより飲み代は確実に減ります。家庭で理解を得られればお酒でうさばらしする必要がなくなるからです。


それに対して「主婦にだって言いたいことがある!」のであれば、感情論にならずに客観的に、どちらがどれほど「家庭」という組織に対して貢献しているのか、という話し合いをすればよいと思います。「給料が自動的に銀行に振り込まれている」という事実は「家庭」への最大の貢献であってこれを無視することはできないのです。
男性は、給与を毎月銀行に入れていることでまず「及第点」とし、女性は、それにまず感謝した上で、他に家庭の中でどう振舞ってほしいか、具体的に男性に提示する必要があります。


お金の重要性に関する問題ですね。お金というのは当たり前のようにそこにありますが、なぜそこにあるのか、という命題から目をそむける人は多いです。


サラリーマンに対しては言いたいことがたくさんあるはずなのに、サラリーマン擁護になっていますね。。

なるほど、と思った

  • またまた、内田博史さんという方の日記より。

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富を持つ資格のない者が富を持つ事は社会悪である。富とはより効率的に使う者に与えられるべきだ。
ただ単に楽をしたいと思っている不届き者である場合が多い。
こんな連中がゼニを持ったところで何の社会的意義がある?
こういうヤツはさっさと労働の場に戻したほうが御国の為であるし本人の為でもある。
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楽をしたいと思っている連中は労働の場に戻すべき、というのはそのとおりですね。その連中が、「働かない」という選択をすると、国が困るのです。労働の場というのは別にアルバイトでもかまわないと思います。


自分がお金をもって何をしたいかといえば、精神的安定を得たいんですよね。その精神的安定をもって、新たな、世の中に貢献できる何かをできそうな気がしているのです。お金に追われていると何もできないのです。できる方もいるのでしょうが、これは自分の性格上の問題だと思います。