身体の声、ココロの声(食について)
人生観、のような、思想の話
- [重要]身体の声、ココロの声
最近あらためて食に気をつかうようになり、ますます自分の「身体」の声に耳を澄ますようになったと思っています。
実はそれは前からやっていたのですが(僕は大病をしたので、病気以降、自分の身体が発する声に耳を澄まさざるを得なくなりました)、ここ数年はおろそかにしていました。
なぜなら、最近は「ココロ」の声にずっと耳を澄ませてきたからです。
その「声」をひろって書き写しているのが、この日記です。
あまりにココロのほうにばかり気をとられていたような気がします。
でもそれは仕方のないことで、病気以降、あまりに身体に気をつかうあまり、ココロの声を無視してきました。
僕が身体に気をつかっていることは周りにはわからなかったと思いますが。。「身体に気をつかってます!」と宣言するわけでもありませんので。
ですので、内々にためこんでしまうこともありました。
で、ココロが悲鳴を上げたころ、この日記をはじめました。もう2年前になります。
ココロの声を無視していたら、ココロの中に声がたまりすぎてしまったのです。
で、さんざんココロの声を聞いてあげましたので、そろそろいいかな、と。そろそろ身体とココロのバランスをとるべきかな、と。
ムカシは、身体とココロ両方の声をバランスよく聞く、などという芸当はとうていできませんでした。でも今ならできそうな気がします。
そういう意味では僕は順調に成長しているという自負は、ありますね。
それにしても、ココロの声にはトレンドがあるようでして。。
この日記でもいろんなトピックが盛り上がっては消え、しました。
「横文字職業に対する嫌悪感」とか。。昨年なんといってもいちばん盛り上がっていたのは宗教です。そして、エコ(に対する嫌悪感)。
他にもいろいろありました。
ビジネス、仕事関係はまた別なブログを(しかもふたつ)持っているので、そっち方面もトレンドがあります。
ただただ、「ずいぶんたまっていたのだなあ」と、思うのみです。それを2年かけてだいぶ吐き出せてこれたかな、と。
そういえば、僕がこの「吐き出し」を行ってきた理由は、ココロの奥底にある「根源的な闇」を垣間見たいがためでした。
(この「根源的な闇」というコトバも、しばらく僕のマイブームでした)
ココロの中の表層部分にある自分の「声」をかきわけかきわけ、たまっていたものを外に吐き出し吐き出しして、キレイになったときにそこに現れる風景とはなにか?
といいますか、そこには、「どこか」へとつながる「根源的な闇」があるのだ、という結論に、僕なりに達していたのでした。
吉本ばななさんや村上春樹さんのエッセイなどに書かれている、小説を書いているときに「深いところへ降りてゆく」感じになる、という、それなんですけども、その「深いところ」への入口を見たいわけです。僕には降りていって集合的無意識と対話する力量は(まだ)ないと思いますので。。
でも、入口だけは見てみたいのです。