元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

住処について

再録

自分がやっている「活動」(散歩、のバージョンアップ版みたいなもの)は、自分の終の棲家あるいは仮の住処を見つけるための旅なのかもしれないですね。。

と、最近思いました。

少なくとも「旅行」というのは、そうではないでしょう。

自分がなぜ、継続して「活動」を続けているのか、自他ともに「よくわからない」部分があったわけですが、そういうふうに考えてみれば腑に落ちることがあります。

まず、なぜこれほど真剣になっているか、ということ。。 「活動」というのは「散歩」ほど趣味的なものではなくもっとハゲしいものです。それも、自分の住処を探すためであれば真剣にもなるというものです。その土地について、とか環境とか、「散歩」して通過してゆくのではなくて、いちいち立ち止まって確認しなければなりません。