元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

初詣観

本来の日記部分

  • 仕事

新年会。

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 常に「言い訳モード」に入らないように(20080109)

ミチクサ(散歩、都市論etc)

  • 初詣

以前は大晦日の夜に「初?詣」に行っていました。たった数時間後に年が明けるわけで、その数時間の差に何か意味はあるのか? 今「初詣」で何が問題あるのか?
と自他に言い訳して。。

事実、大晦日夜、初詣の準備をしている寺院の、妙な間の抜けた雰囲気というのは、好きでしたね。ヒトもまばらですし。

未だに、なぜ年の切り替わりのとき、もっともサムい時間帯に、外で行列していなければならないのか、とは思いますね。
暖かい部屋でNHKの行く年来る年をみていたほうが雰囲気はありそうです。


今は、あえて大晦日の夜に行くというヒネクレはやめて、元旦の朝に行くことにしています。
初日の出を拝んでから(晴れの日)、近所の氏神のところに参り、ついでにもひとつ、大きなところにお参りし、破魔矢を買って、元旦朝からやってる喫茶店でひといきつく、と。

その時間帯は空いているということに気づいたのです。
徹夜組が帰宅し、夜更かし組が起き出してくるはざまの時間帯。。

そして、一旦家に帰り、東京タワー詣に行きます。毎年恒例の、展望台までの階段ウォーキング。
東京タワーは自分のココロの支えですからね。。「信奉」しているといってもよい。
わざわざ、タワーのふもとに住んだりしたわけですから。。

他の方が、霊験あらたかな山に登ったり、そういった場所に参拝するのと、全く同じ感覚で自分は東京タワーに登っている、ということに、最近気付きました。
ですから、私が死ぬまでは東京タワーは取り壊されては、困ります。