元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「人生を、物欲実現のプロセスのみに自ら堕してはならない」について

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 人生を、物欲実現のプロセスのみに自ら堕してはならない。(20071203)(掲載済)

についてですが。。

なぜ、人生の目標を、「マイホーム」とかにおいてしまうのか?(マイホームは「物欲」の到達点です)

あるいは「それなりの生活」とか抽象的にぼかしてしまうのか。「豊かな生活」をしたいのだったら、具体的にどうしたいのか、を振り絞って眼前に書き出して、それの実現可能性を検討して、それに向けて「発進」する、とか。なぜそういうことをやらないのか?
そのプロセスこそが、人生そのものです。

高度成長期に、人生の目標を「三種の神器」とか、モノに投影してしまったのが、マズかったのではないでしょうか。。 それで日本人は、到達目標をモノにおきかえてしまうクセがついてしまった、とか。

人生カネじゃない(モノ、とはつまりはカネが形をかえたものにすぎません)、と言い張るんだったら、「じゃあなんなのか?」を、胃が痛むぐらいホンキになって考えるべきです。
その段階も人生そのものです。


今思い出したのですが、コドモが、将来の目標を聞かれたときに必ず「職業」を答えるというのも。。
ムカシ、なんであんなにカタにはまってしまうのだろうか、と日記に書き出した記憶がありますが。
職業を答えるということはそれはカネと直結するのでしょうね。

コドモが、カネ持ちになって好きなものを買って大きな家に暮らしたい、みたいな夢想をするのは、許せます。いえ、自然なことです。
でもそれが許されるのはコドモまでです。

再録

たとえばテレビを見なくなったらりタバコを吸わなくなったり酒量を減らしたりと、
自分なりに何年かかけて「自己節制」を続けてきたわけですが。。
(早起きもそうですね)

その最後の砦が、「カネ」なわけですね。。
ムダ遣い、だらだら遣いの抑制。「カネに支配される人生」からの脱出。

自分が対峙しなければならない「カネ」という存在、これはホントに、強大なボスキ
ャラですね。。