元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

風邪 発熱

本来の日記部分

  • 体調

熱が高くキツい。。

ミチクサ(散歩、都市論etc)

  • 昼間のゲーセン(想い出)

田舎の繁華街(今でいう「シャッター通り」)に、けっこうでっかいゲーセンがありまして、そこは、ポーカーやブラックジャックなどもあり、不良なりコワいヒトなりも集まってきていました。
もちろん、最新のアーケードゲームが入ると、無邪気なコドモたちも集まってきていました。

カツアゲなども頻繁におこなわれていたものと推測されます。幸い、僕はそういう目に遭ったことはありません。

90年代のセガのゲーセンみたいな明るさみたいなものはまったくなく、昼でも夜でも照明は薄暗く。。

たぶん「ゼビウス」とかが出たころだったと思われます。


そこに、土曜の半ドンの後や、日曜の真昼間に一人で行って時間を過ごすのが、好きでした。
「一人」といっても、ほとんどの場合、後から知り合いが入ってくるのですが。。

今、オトナになり、その雰囲気をひとことであらわすことができます。それは、「退廃的」。。


パチンコ文化は、栄えていましたが、休日の真昼間にゲーセンでポーカーやってるオトナって。。
ホントに、「よくわからない」という形容詞がぴったりでした。

そういうところに身をおいてまったりしてるのが、好きでしたねえ。

高校に入ると背伸びしてパチンコ屋に行ってみたりしたのですが、とにかくウルサくて、ダメでした。


それで何の因果か、大学を出てゲーセンでバイトするようになるわけです。そっちの、「退廃的」なほうのゲーセンです。

再録

人間として「力がつく」というのは、日々の積み重ねでしかないと最近思います。日々の積み重ねを容易にしてくれるのは「日課」として自分に課すことです。それが逆に自分を楽にしてくれる手段だということを、ほとんどの人は知らないようです。が、わかっている人は、わかっています。

非日常的な、瞬間的な「経験」の積み重ねは「力」になるとは限りません。「力にはならない」と断定はしませんが、何か違います。「楽しかったなあ」という想いは残るかもしれませんが、必ず不満足感がつきまとうものです。