元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

親鸞 ケイゾク

本来の日記部分

イトイ新聞で、親鸞の連載が始まりました。
まだ見ていませんが。。

やはり、私が宗教について興味を持ち始めたという事実は、大局の中にあるのだ、と再認識した次第。
「大局」と「流行」とは、違うのです。

イトイ新聞は良くも悪くも「流行」を追わない。
だから受け入れられるのでしょう。

  • 体調

脳みそのはるか奥のほうに、かすかな頭痛信号を感じると、ドキっとします。

こうありたいまたは反面教師

高度資本主義社会の最大の恩恵というのが。。
「人間が、ケイゾクしなくともよいこと」だと考えているヒトがあまりにたくさんいますから。。
つまり、ルーティンしなくともよい、というか。

そこが、「ニッチ」になりうるのです。

ルーティンは、効率化できますが、なくならないのです。
そこに、しかと目を向けるところから、です。

再録

  • 20070610メルマガ
  • マスコミによる洗脳完了している人たちにコミットするのはとにかく馬鹿らしい

2006年8月13日の日記の抜粋です。「何かおかしいのでは?」と感じ始めた萌芽の頃でしょうか。
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某有名人のブログをみていて感じたのですが、決してお金で動くわけではない、志を持つ人達が、最近どんどん「頑張って続けてきたけど、馬鹿馬鹿しいからもうやめた」に似たような発言をしているように思います。

志を持つ人が、自分の感情に忠実に動こうとしたときに、それを阻もうとする「壁」のようなものがこの世の中では高すぎるのではないだろうか? というのは、最近漠然とではありますが感じていました。個々がそれぞれ描く「ベターな社会」があって、それを実現するために動こうとすると徐々に「潰されて」ゆく、ということは、それにより(注:「潰す」ことにより)恩恵や利益を受ける誰か、何かが存在するわけです。そういう強い力は、世の中はこのままでよい、あるいは、各自な勝手な思いで世の中を扇動してほしくない(それが不利益になるから)と考えるのでしょう。

志を持つ人達=危険分子と考えて排除するような、まるで戦前のような動きは、ほとんど表には出てきませんが、確かにあります。それは直接行使のような形をとることもありますし、「風評」に近い場合もある。
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ここでいっている「某有名人」とはたぶん勝谷誠彦さんのことですね。

「決してお金で動くわけではない、志を持つ人達」は、私が評価している、「マスコミに洗脳されていない人たち」にあたります。(そして、私が「そうありたい」と願う)あるいは、マスコミ云々の過程はもう突き抜けている人たちなのかもしれません。

そして「それを阻もうとする『壁』」というのは、この時点ではおそらく「上からの圧力」のようなイメージでした。

が、これは実は「上から」ではなくて「横から」というか。。 それが「マスコミによる洗脳完了している人たち」ではないかとおぼろげに考え始めています。

「マスコミの『上からの』圧力」そのものではなくて、それに影響を受けすぎている人たちが、「お上」の従順な代理人として「志を持つ人達」の「壁」になっているのではないか、ということです。

そして、そういう壁にコミットするのはもはや馬鹿らしいからやめましょう、ということを提唱したいわけですね。

「決してお金で動くわけではない、志を持つ人達」が、「馬鹿馬鹿しいからもうやめた」となり、マスや大衆に向けていた目をますます、矮小的な周辺、あるいは自分の身の回りまで狭めていっている、という事実に対して、世の中の多数派(「マスコミによる洗脳完了している人たち」)はこれを危機的とは感じていないでしょう。むしろ喜ぶべきことだと考えるでしょう。「異端を排除する」という意味で。

でもそれは、国全体の生産性という意味では危機的状況です。この状況を危機だと考えるヒトが増えてくれれば、と思います。

そして、「彼ら」が異端を排除してゆくことにすらもうコミットしない、というか。。
つまり、距離をおけばいいのだと思います。
距離をおけばお互いに害や苦痛をおよぼすことはないはずなのです。


ブログに書き出してるほうでは、その「マスコミに洗脳されていない人」が「マスコミによる洗脳完了している人たち」に「攻撃」され、馬鹿馬鹿しくなってゆく例を書きたかったのだと思います。文章がヘタでうまく書ききれていませんが。。

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反面教師「馬鹿らしい」と思う
昔書いた、「頑張っている人が馬鹿馬鹿しいと思い始めている」みたいな話(略)の続き。。

たとえば今、子供になるべくジャンクフードを与えないよう奮闘を続ける親(主婦)は少数派であり、尊敬に値する。子供が勝手に外でおやつを食べ始めるまでの、子供の成長にとって大切な期間にジャンクフードから子供を守るのは至難の技であるといってよい。まず、この努力をする親(主婦)は優秀ではないか? その努力を認めてもよいのでは?
それに大しての多数派、つまり、「それはもちろんそのほうがいいとは思うけど。。ねえ?(できるわけないじゃん)」という人たちは主婦としては並でしょ? その「並」たちが努力している人たちに嫉妬して、それどころか引きずり落とそうとする動きをするのは、最低でしょ。だから、そういう動きに対してせっかくの努力を「馬鹿らしい」と感じて投げ出してしまう人には同情する。嫉妬による引きずり落とそうとする圧力は相当なものであると自分は知っている。子供の頃は優れていないところばかりを重箱の隅をつつくように指摘され続け、大人になったら努力を揶揄される。だから日本は、上に行こう、突き抜けようとする人にとっては住みずらくてたまらない。横並びでいる理由などはないのだよ。
だから、嫉妬勢力に負けないために、良い方向に努力して突き抜けようとする人たちにはもっとインセンティブが必要なんですよ。そのモチベーションがないとこの国の「嫉妬勢力」はあまりにも強すぎる。悪しき平等主義。。

。。。と考えてゆくと、「並」の「嫉妬勢力」のほうが無用なプライドが高い? というよりは、無用なプライドがあるからこそ「並」のレベルに甘んじているということか。高みまでいっている人のプライドというのは真のプライドであり、他人が不快に感じるものではない。

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そういう「彼ら」の言動に対しては、反面教師にするのみでOKであり、あえてコミットはしない、ということ。
洗脳されている人間と議論するのは時間のムダ、というのは、自明なのです。

「『彼ら』は洗脳されているに近い状況なんだ」ということに早めに気づかないと、意味のないコミットを続けることにより膨大なムダな時間を浪費してしまいます。

周辺へのコミットを優先する前に、「まず自分から」でいいではないか、まず「個」の確立が先ではないか、という結論ですね。「個」をパワーアップさせてから周辺にコミットしたほうがやりやすいと思いますし、そのまま、コミットしなくてもよい。

洗脳されている「周辺」に安易に流されてしまうと、確固たる「個」の確立はできません。これは、経験上、わかったことです。


それにしても「彼ら」。。 「彼ら」の存在は非常に困りものです。

「彼ら」とは漠然とした概念ですが、自分にとっては、
・「横文字職業予備軍」(かつてこのメルマガで綿々と書き連ねていた、初期の「彼ら」)
・マスコミによる洗脳完了している人たち
・そして、これらを包括するかもしれない「無礼な人たち」

間違った民主主義を教えこまれた世代の親を持ち、さらにバイアスがかかった躾けを受けて育った子供たちの世代が、自分にとって「彼らパート3」になってきていますね。