元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

トモダチは100人もいらない 物語は書けない

再録・継続

  • もう一段階超えてほしい(20070313)

やりたいことをガマンして組織に合わせ続けていくことが、真のオトナになることではないのです。それは確かに、組織人、社会人としてオトナになる第一歩かもしれません。そういう過程は必ず必要です。が、そこからもう一歩抜け出さなければならないと思うのです。

その次の段階とは、組織から抜けるか、組織の中で自由にやれる足場を築き、実際に自由にやるか、どちらかです。

自分が「サラリーマン」であることに酔って、次の段階にまだ進んでいない若手クンに、「オトナになれ」的な説教をされたことも何回かあります。年下なんですが。。

この段階では、組織の枠の外にいる人間を見ると、オトナになっていない、とどうしても感じてしまうのです。

でも、この状態の若手クンの中で支配している感情は、嫉妬なんですよ。それに気付かなければなりません。

私は、私に説教を仕掛けてくる相手は年上だろうが年下だろうが真底大キライなので、親切に「気付いたほうがいいよ」と諭したりもしません。

そういう若手クンは組織の中では凡人で終わってしまいます。組織への順応性があるがゆえに。

組織に順応しようとするヒトは非凡であろうとは思っていないはずなので、諭すのは余計なお世話かもしれないのです。
(再録おわり)


人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 解釈の違い?

世の中の「解釈」のほとんどはまちがっているというか。。いや、違いますね、「解釈の多様化」の異常な進行とでもいいましょうか、そういう教育が推進されてきた結果として、いろいろな事象に対する「共通見解」みたいなものが得られにくくなっている、と考えています。
それはおそらく功罪があって、こういう時代では圧倒的なカリスマ性なしにヒトを束ねていくのはホントに難しい。でもいったん団結するとオソロしく固まって排他的になる。
おいしいラーメン屋がある、とネットで口コミが広まると、たかがラーメンに1時間待ちになる。
。。なんだろう。。書き出したはいいが、ムズカしいですね。。結局、解釈は多様じゃないのでは? ということでしょうか。
以前書いた、個性化が逆に没個性につながってゆく、という話とつながってゆきそうですが。


ところで。。
解釈は確かに、好きじゃなかったですね、ムカシから。
映画を観た後のシチュエーションとか。。
エンディングの意味って本当は? みたいなことを他人に聞いて知りたがるヒトは、リアルに理解度が低い(「映画リテラシー」が低い)か、他人の解釈を聞いて安心したいだけなんですよね。

とある映画を共有すれば、各々が言語化できない思いを腹の中に落とし込む。それは「何か」と問われれば、多分にそれは、そのヒトの過去の人生経験に拠るものです。つまり、そのヒトのフィルタを通した「解釈」なわけですが、それは、「説明用」が必要なのであれば上っ面の解釈をでっちあげて意識の表層においておけばいい(他人から説明を求められたときにいつでも取り出せるよう)のでしょうけど、深いところに沈ませておく真の「解釈」のようなものはなまじっか表出させないほうがいいような気がするのです。


でも。。そういえば学校の現国って、すべてが「解釈」の訓練でしたねえ。。
しかも、なぜか「模範解答」がある。
でもまァ、あの過程を経ないと独自解釈など生まれてこないのでしょう。あそこのレベルで留まっているヒトが、ヒトの解釈を聞きたくて仕方がないようなヒトなんでしょうね。


世の中のすべての事象には「模範解答」があると頑なに信じている、あるいは、マスコミの洗脳によりそう信じさせられているヒトたち。


自分について

  • トモダチは100人もいらない

ゼイタクなんかいらない、っていうヒトがいます。日本人はほとんどがそう言うと思うのですが。。
生きてゆくのに最低限のおカネさえあればいい、たまに少しのぜいたくさえできれば。。
ってそれはそのまま、「生きてゆくのに最低限の人間関係さえあればいい」「たまに少しの『パーティー』(?)にでも行ければ。。」ということです。

なぜ、おカネは少しでいい(けど、ホントは無限にほしい)、でも人間関係はいくら拡がってもよい(けど、ホントはわずらわしい人間関係はイヤ)、ということになるのでしょうか。。


これは、今思い出しましたが、自分の15年前の議論そのものですね。
なぜヒトは「アソビ」をしなければならないのか。なぜヒトは、「トモダチ」を持たなければならないのか。なぜヒトは「イソガシイ」を連発しなければならないのか。。

考え方が、ホントに、変わりませんね。。
でも、15年前にそういうことをすでに考えていた、というのは、当時にしてはけっこう希少価値だったのではないか、と思います。今となれば。


なぜヒトは、「何か楽しいことがありそうだから」と、自らが楽しいことを見つけることを放棄してまで「盛り場」に繰り出すのか。。(【重要】マーク)

これは、実は、現代版「苦行」ではありませんか?
「盛り場」にはリスクがたくさんあるにも関わらず、あえて飛び込んでゆくという。。
そして、「盛り場」に結局、「何か楽しいこと」がある確率は極めて低いのにも関わらず。。

15年前の自分が考えていたこともおそらくそのようなことだったのでしょうね。

  • 写経はできるけど物語は書けない

mixiにだったか、ばーっと書いた記憶があるのですが。。
コドモの頃ピアノを習っていたのですが、課題曲を弾くのはなんとかできても、作曲がニガテでした。
まったくもって、自由な創造力をもって曲を作り上げるということができない。コドモのくせに何か「型」のようなものを気にしてしまうのですね。気にしてしまうともう、曲のイメージすら湧いてこない。とにかく、私の「ココロ」みたいなものは、当時すごい頑なで、ピアノを弾くのは上手といわれたことがありますが、一曲たりとも曲を創造することはありませんでした。

これと、同じように、自分は、物語を紡ぎだすことはできないんだろうなあ、と、思います。
村上春樹さんの長編などを読んでいると、その「物語」という存在そのものに圧倒されるというか。。
まァ、非常に俗っぽくいえば「オレにはムリだわ。。」と。
「回路」がもう、違うんですね。

でも、物語を紡ぎだすことができなくても、このように、「書き出す」ことはできる。

コドモの頃は、作曲はできなかったけど、課題曲をなぞって上手に弾くことはできた。

進歩がないというか、変らないというか。。

ですから、そっちを自分の長所と考えて割り切るしかないんですよ。

抜粋・紹介

村上春樹、河合隼雄に会いにいく

村上春樹、河合隼雄に会いにいく


「河合 村上さんが小説のメリットについて、「その対応性の遅さと、情報量の少なさと、手工業的しんどさ」をあげておられるところ、大変嬉しく思いました。(略)わたしが自分の仕事を、相談に来られた人が「自分の物語を見出していく」のを援助することだと思っているのが、それほど間違っていない、と傍証してもらっているように感じるのです。
現代の一般的風潮は、村上さんが書かれたことのまったく逆の、「できるだけ、早い対応、多い情報の獲得、大量生産」を目指して動いています。そして、この傾向が人間のたましいに傷をつけ、その癒しを求めている人たちに対して、われわれは一般的風潮のまったく逆のことをするのに意義を見出すことになるのです。
(略)それにしても、一人ひとりのたましいを深く傷つける前述のような傾向が、個人主義を唱える欧米から生じてきたというアイロニーについて、ゆっくり考えてみなくてはならないと思います。個人をもっとも大切と考える生き方が、個人をもっとも深く傷つける傾向を生み出しているのです。」

「河合 私はあるクライエントが治療関係が終わってから、「河合先生に会った最大の不幸は自殺できなくなったことだ」と言われるのを聞いたことがあります。これはなかなか微妙な表現ですが(略)この言葉はずっと私の心の中に残っていて、折にふれて自分の心理療法の在り方について反省する契機を与えてくれています。ともかく、人間の「死」ということに関する限り、一般論はできない、と私は思っています。」

「村上 (略)小説を書くというのは、黄泉国に行くという感覚に非常に近い感じがするのです。それは、ある意味では自分の死というのを先取りするということかもしれないと、小説を書いていてふと感ずることがあるのですね、
河合 人間はいろいろに病んでいるわけですが、そのいちばん根本にあるのは人間は死ぬということですよ。おそらくほかの動物は知らないと思うのだけれど、人間だけは自分が死ぬということをすごく早くから知ってて、自分が死ぬということを、自分の人生観に取り入れて生きていかなければならない。それはある意味では病んでいるのですね。
そういうことを忘れている人は、あたかも病んでいないかのごとくに生きているのだけれども、ほんとうを言うと、それはずっと課題なわけでしょう。(略)
現代というか、近代は、死ぬということをなるべく考えないで生きることにものすごく集中した、非常に珍しい時代ですね。それは科学・技術の発展によって、人間の「生きる」可能性が急に拡大されたからですね。その中で死について考えるというのは大変だったのですが、このごろ科学・技術の発展に乗っていても、人間はそう幸福になるわけではないことが実感されてきました。そうなると、死について急に語られるようになってきましたね。
だけど、ほんとに人間というものを考えたら、死のことをどこかで考えていなかったら、話にならないですよね。その点、それこそ平安時代の物語なんかは死ということはずっとある。」

「河合 (略)日本人は、自分の内にあるこの暴力を意識化し、それを適切に表現する方法を見出すことに努めないと、突発的に生じる抑制のきかない暴力による加害者になる危険が高いことを自覚すべきと思います。(略)何の罪もない人が、「治療」という名のもとにHIV患者にされてしまうのなども、近代的暴力の一つの表われと見ることもできます。
オウムにしろ、HIV感染の血液製剤にしろ、もともとの動機としては「暴力」どころか「正しい」ことや「よいこと」をしようという意図がはたらいています。しかし、そこに危険極まりない暴力が関与してくる。これを避けるためには、自分の中の暴力性を最初から考慮の中に入れて、行動することが必要なのだと思います。」


「村上 (略)結局、ぼくがそれだけ長い年月をかけて暴力性に行き着いたというのは、そういうあいまいなものへの決算じゃないかという気もしなくはないのです。
ですから、結局、これからのぼくの課題は、歴史に均衡すべき暴力性というものを、どこに持っていくかという問題なのでしょうね。それはわれわれの世代的責任じゃないかなという気もするのです。
河合 そうですね。暴力性をどういう表現に持って行けばいいのか、いまの若者がそこまで気がついてくれるといいんですけれどもね。
村上 これから暴力の時代がもう一度来るんじゃないかという気がすごくするのです。そのときに、われわれがそれに対してどのような価値観を付与していけるかというのは、大きい問題だという気がするのです。(略)」

「村上 「だれも痛みを引き受けていない」というのは、あるいは僕の言い過ぎかもしれません。中にはちゃんと引き受けていた人もいたはずだし、それは僕に断定できることではない。まあたぶん、多くの人は引き受けていないと思うけれど……。(略)少なくとも僕は、「おそらく自分にはそういう痛みを引き受ける道が、今のところうまく見つけだせそうにない」と思ったので、そのような行動にはうまくコミットできなかったのです。これは一種の自意識の過剰なのかなと思わないでもありません。でも僕は何かのムーブメントを「これは正しいものだからいい」「これは正しくないものだからいけない」というふうに単純に割り切っていくことができないのです。そうではなくて、どうすればその正しさを自分自身のものとして身につけられるか」というふうにしか考えられない。そういう納得がなければ、簡単には動けない。たとえそれに長い時間がかかったとしてもです。「とにかく動かないことには意味がないんだ」というふうには僕はどうしても思えないのです。それはあるいは僕が学生のころに身をもって学んだことかもしれません」