元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

過剰な「安かろう悪かろう」 都バス ジェネレーション・

再録・継続

  • ジェネレーション・ギャップ (20070225)
    • 若者たち「君の〜ゆく道は〜果てしなく遠い〜」

今回の御通夜ではいろいろな人間模様をみました。私が相も変わらず、特に気になったのは、若者たちです。若者といっても、自分の下の世代すべて含むので、「青年部」とでもいいましょうか。。

田舎から外に出ようとしない青年たち。田舎から外に出ないことが悪いのではありません。今回思ったのは、田舎に根をおろしている「男たち」は逆にすごくいいなあ、と思ったんですよね。居心地悪そうにしている青年たちとの対比で。「男たち」つまり自分からみれば年輩の方々はもう通過儀礼は過ぎているんですよ。田舎の濃い地域社会、血縁関係に順応し、溶け込んでいるんです。今の時代、もうその通過儀礼を若者に課していないような気がするんですよね。だからいつまでも青年たちは宙ぶらりん。地元の青年部の集まりに積極的に参加するわけでもなく、てきとうに遊んでてきとうに働いてる感じがするんです。言い方を変えれば、地域の集まりなどに積極的に参加して活動しているのであれば、仕事はてきとうでいいのです。仕事は適当でも、横のつながりで、地域社会が救済してくれるのです。でも、地域活動にもロクに参加しない若者を救済する余裕はないでしょう。その義務もないし。住んでいるようで住んでいないようなものなんです。

誰かが田舎の思春期やら反抗期やらの話をしていましたが、自分はその反抗期の延長で本当に田舎を捨てた格好なので、未だ反抗しているともいえます。でもそんなことを、反抗しながら田舎の実家でくすぶり続けている青年たち(そこを出る勇気すら持てない)にいくら伝えてもわかりゃしません。そのハンパさには哀れみすら感じるのです。

そして、田舎の「女たち」も、田舎の若者たちと対比すると、すごくいいなあ、と思いましたね。世話焼きのおばちゃんたち、というか。20代前半〜半ばで嫁にいって、ほとんど一心不乱に田舎で子育てをしてきた人たち。世間を知らないということで、自分の違和感アンテナに引っかかるはずが、まったく引っかかってこない。

なぜならば、まず彼女らは、自分たちの立場をわきまえているのです。まあ確かに口は達者ですが。。 全体的に出しゃばってはこない。そして「男たち」と同様の通過儀礼をくぐってきていて、地域社会と共生しているから、「世間知らず」ではないのです。私が嫌いなのは世間知らずなんですよね。強制的であっても地域とつながっている人たちは、そのパイプをとおして世間を知っている。それは、義務なんですよ。義務が人を成長させている。

都会で、わけのわからん「自分探し」している独身女性より、何倍も素晴らしいと思いましたよ。「身の程を知る」ということです。地方には地方のよさがある。

世代間のギャップと、都会と田舎に住む価値観の違いとのギャップで、田舎の青年たちとは2重のギャップがあって、話が合わなすぎます。
(再録おわり)

会社シリーズ

  • 都バスの運転手。。

都バスの運転手のことは、昔書いていました。。

今日、都バスに乗ったら、運転手がなんと、道を間違えました。
ラッシュ時とそうでないときで、一部ルートが変わるんですよね。で、ラッシュ時に乗ったのですが、この運転手は通常ルートに入ってしまった。
バスですから、うかつにUターンもできない。
さらに悪いことに、次の停留所で降りようと、ブザーを押していた客がいたんですよ。
そのまま進めば、その、お客さんが降りたい停留所からどんどん離れていってしまう。


さあ、この運転手さんの取った行動は?


答え:その場で(停留所ではないところ)、次の停留所で降りたい客を「すみませんが停留所まで歩いていってください」といって降ろした。
その距離、歩いて数分といったところ。


このジャッジは、果たして正しいのでしょうか?
そういうときのマニュアルってありそうですよね。。安全のためにムリはしないこと、とか。お客にお詫びしてその場で降りてもらう、とか。


私は、正しくないと思いますね。まず、その場で返金するのが当然だと思います。
それと、ルートを間違えたということは、停留所をひとつふたつ、飛ばしたということです。プロとしてそれは、やっていいことなのでしょうか。
実際問題は、朝のラッシュ時なので、数分で次のバスがくるので、飛ばされた停留所で待っているお客さんは、気づかなかったのでしょうが。。 気づかないからそれでいいのか?と。


ところで、この運転手さんの行動で120%間違っているのは、自分のミスを認めなかったことです。
自分のミスを棚に上げた高飛車な態度、言動は、見ていて大変不快でした。そこに居合わせた客は皆、同じような感じを受けたでしょう。
そして、その、自分の降りたいところではないのに強制的に降ろされ、歩くことを余儀なくされたお客さんは、「犬に噛まれた」と思って諦めるしかないのでしょう。

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 過剰な「安かろう悪かろう」

例の肉屋の問題がトリガとなったのか、安かろう悪かろうという考えがクローズアップされているように思います。

あまり安いものを追うな、安いものは悪いもの、と。


世論が「そっち」寄りになっているのは、とても違和感を感じます。
「豊かな国ですなあ」とイヤミのひとつも言いたくなりますね。

なぜなら、「世の中で売られている商品のほとんどは、不当に高い」という事実が隠蔽されつつあるからです。


とあるメルマガで、「安いなあ」と思ったらそれを疑ったほうがいい、といったようなことが書かれていました。(だから、それに違和感を感じて、こうやって取り上げているのですが。。)

疑うのは、正しい。でも、疑い方を、間違っているのです。

ムカシから、我々は、不当に高い買い物を市場からさせられてきたのだ、ということを忘れてはならないのですよ。
あの、闇市の時代から。(私は生きてませんが。。)

「安かろう悪かろう」つまり、品質が劣悪なものだから、安く売られている、とは限らないのです。
(そういうこともあるので、完全否定はしません)


ムカシは、そして今も、品質が「ふつう」のものが、不当に高く売られている。
そういう商売をしているヒトたちはほくそえんでいることでしょう。
今現在、「安いものはうかつに買うもんじゃない」という大々的なキャンペーンが張られているから。。
このキャンペーンを仕掛けたのは、いったい誰なんだろう?

ここ10年弱続いているデフレの反動がついにきた、とみればよいのでしょうか。


しつこいようですが、「安くて品質が劣悪」(「安かろう悪かろう」)なものよりも「安くないのに品質はふつう」(質の割には不当に高い)のモノのほうが何万倍もたくさんあるんです。

こういう、キャンペーンを張られているときこそ、そういう、不当に高いモノを監視しないといけません。
相手は、別に品質は「ふつう」のくせに値を吊り上げてくるかもしれませんよ。

そして庶民は、それを一種の高級品だと思い、まんまと高値をつかまされます。


こういうときは逆張りのほうがいい、と確信しています。

かたくなに逆張り(つまり、こういうときこそ安いものを買う)するというよりは、自分の買い物の感覚を信じるということ。
そしてもし可能であれば、値段を比較するということ。独占の状態ではどうしても値はつりあがります。

スーパーで買えるものをコンビニで買わない(正札で買わない)努力をするとか。
それをセコいといいますか?


もうひとつ気になるのは、「食品はやっぱり品質が大事で。。」という「風潮」ですね。
そんなことは、誰もがわかっていることです。これが強調されているということは、何か違和感を感じなければなりません。

確かに、プロフェッショナリズムが一部崩壊している、というのはあるでしょう。「どうせバレないだろう」と賞味期限切れの生クリームを使うとか、そういうところで「モラル」が崩壊しているのは否めません。

でもそれと同じように、品質改善の努力はいたるところで繰り広げられてきたのです。


ハナシはちょっとそれますが、戦後は、ヒロポンを皆で回し打ちしても法的に咎められなかったり、問答無用でDDTを身体にかけられたり、絨毯爆撃で空から農薬をまかれたり(民家を避けることなく)したんですよ。
私は戦後は知りませんが、私が駄菓子屋で食べたお菓子たちは添加物バリバリでした。缶コーヒーも缶紅茶もむちゃくちゃ甘かった。ポテトチップは健康のことなどこれっぽっちも考えていなかった。
ドブ川は皆が洗剤を流すのでキタナく、クサかった。
農薬についてはホントに「爆撃」されたんです。「空襲警報」が鳴るんですよ。「今から農薬をまきます、避難してください」と。でもコドモたちは外で遊ぶのが楽しいから、避難しない。そうすると、空から霧雨みたいのが降ってくるんです。顔を上げると、何か「苦い」モノが口に入ってくる。。


それでも、私は今でもある程度頑丈ですし、食べ物の品質について過保護に守られている今の若い世代のほうが、なぜか身体が弱いといわれています。
それは、なぜですか? ということを考えてほしい。


結局何が言いたいのかというと、いつもと似たような結論ですが、「身の程を知り、身の丈にあった生活をする」ということ。
アナタは本当に、大枚をはたいて有機野菜を宅配で購入するほどの「豊かな生活」を送る資格があるのでしょうか?
結局、今も「庶民」というのは、スーパーで夕方、生鮮食料品が安くなる頃を狙って買いに行く、ぐらいが「身の丈にあった生活」なのではないですか。
エコロジーに関心を持ち、自分の口に入る食品に過剰に気をつかって、それにかまけているうちに、あなたの部屋は汚れていませんか?

アナタは「庶民」ですか、否ですか?
アナタは何をすれば「豊かな生活」を送っているという実感が持てますか?


たぶん、そういうことです。