元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「ココロのセマいヒト!」

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 「ココロのセマいヒト!」2

自分のやるべきことをしないで手伝ってもらってばかりいるが、ココロヤサしい「自称」ココロのヒロいヒト
VS自分の仕事はきっちりやるが、それ以外のことは線引きしてやらない、「他称」ココロのセマいヒト

という図式だと思うのです。

自分の仕事をきっちりやって(かつそれが他人にも認められており)、さらに他人の世話も焼くようなデキたヒトはこの話とは関係ありません。

この図式でどちらを支援したいかといえばゼッタイに後者なのです。
後者は前者につけこまれて自分の領域以外のところで無間地獄に陥らないよう防御しているわけです。その代償として、前者からの「ココロのセマいヒト!」攻撃に耐えなければなりません。

現代では特にそういう状況です。

自分の仕事を終えて、余暇を楽しんでいるときすら前者につけこまれるので、余暇も余裕がないフリをしておかなければなりません。
前者は、常に後者の余裕につけこもうとしており、後者の余暇は自分の仕事をきっちりこなすためにゼッタイに必要なものなのだ、という配慮すらできません。
それどころか、後者の余暇を奪って、後者が自分の仕事すらきっちりできない状況に追い込み、後者を前者に引きずり込もうとすらするわけです。

でもなぜ、自分のやるべきことはきっちりやっているにも関わらず「ココロのセマいヒト!」呼ばわりされなければならないのか。。特に、自分のやるべきことすらやってない前者からそういう攻撃を受ければ「ふざけんな」ということになってきます。


前者、すなわち「コマってるんだから手伝えよ」といってくるヒトたちは、長期的に統計をとってみればコマっていることが多いはずです。なぜかそのヒトたちに集中して。

そういうヒトたちは生活に進歩がないのです。
状況をカイゼンする能力がない。

そして、常に他人を利用しようとする。
利用したいのであれば前者どうしで傷を舐めあっていればいいのです。後者、つまり、少なくとも自分の仕事だけはきっちりやろうとしている人間のジャマをしてまで利用することはない。