元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

昔のコラム2

本来の日記部分

ラジオ深夜便(雑誌)の、読者作品(エッセイ)で、小さい頃に母が死に、すぐ継母がきたのだがそしたら数年度に父が死に、継母にとってみれば、若くして自分と血のつながっていない小さい子供との生活になってしまったのだが、継母はやさしく、再婚することもなく自分を育ててくれた、さみしかったこともあっただろうに、みたいな話があって。。

なんだかしみじみ、感動しました。

  • 体調

睡眠不足。週末は睡眠をとらねばなりません。

  • 仕事

先日クレームを入れたことに対する面談。
のこのこ出てくるのが遅すぎです。

相手が、重い腰を上げてやっと出てくる頃には、それはその相手の作戦なのかもしれませんが、こちらの心はとっくに離れてしまっているのですよ。
営業担当のはずなのに、そういう機微がわかっていないんですね。。

相手のたくみな話術をのらりくらりとスルー。

抜粋・紹介

  • 末永徹さんの昔のコラム(イトイ新聞)
    • 第36回 余計なお世話だけど・・・(2001/7/5)

(略)
日本は、今、将来のために
痛みを伴う改革」をやろうとしている。
本来なら、恵まれた地位にある者は
率先して苦痛を甘受すべき時である。
王の子が全軍の先頭に立って闘わなければ、
王の威令は行き渡らない。
「特権は義務を伴う」のである。

ネット長者は現代の特権階級なんだから、
この非常時に
「税金をまけてくれ」なんて言って欲しくないなあ。
本当に余計なお世話だけど。

(抜粋・紹介おわり)

「特権」というのは、それが「豊かな生活を営む」特権、ということ?
うーん、ちょっと違うかもしれないけど。。

本来の意味での「特権」とは、与えられたもののような気がしています。
ムカシの階級制度のような、生まれたときから貴族、みたいな。

「豊かな生活」とは、自分でゲットしてゆくもの。

どちらにしろ、客観的にみて「恵まれた地位にある者」は、そこにたどりつくまでにどういう経緯であろうと「義務を伴う」。それはagreeです。

(抜粋・紹介はじまり)

    • 第37回 誰も政府は止められない(2001/7/10)

(略)
僕自身は、アウトドア―派ではないが、
表参道や代官山をドライブするより
林の中を散歩するほうが好き、
というくらいの自然愛好派である。
少しぐらい工業生産を減らしても、
緑を増やしたほうがいいと思う。

しかし、ゴルフが好きな人に、
「自動車に乗って(排気ガスを撒き散らしながら)、
 ゴルフ場(周囲の生態系を著しく破壊する)
 に行くのを止めろ」と言ったことはない。
僕にそんな権限はないから。
今日、個人の自由を制限できるのは、国家だけである。
他人に何かを強制したいと思ったら、
政治家になって、国会で法律を通すしかない。

そして、国家は、原則として
ミロシェビッチのように
 極端な人権侵害を行なわない限り)、
完全に自由である。いかなる強制も受けない。
僕が他人に「ゴルフに行くな」と言えないように、
ヨーロッパも日本もアメリカに
「温暖化ガスを削減しろ」とは言えない。
(略)

    • 第41回 迷惑の市場(2001/7/27)

「取引費用ゼロ」の世界を空想してみよう。

オフィスで誰かがタバコを吸う。
みんながニコチンを検出するセンサーを持っていて、
煙が体に触れたら、タバコを吸った人のところに行って
「これだけのニコチンを吸わされた」
と損害賠償を請求する。
タバコを吸った人は、
文句を言わずにサッと決められた金額を支払う。
 
厳密にいえば、「仕事を中断する」という
「取引費用」が生じているが、
そこは、大目に見て下さい。

何が言いたかったかというと、
「取引費用がゼロ」だったら、政府は
「ニコチン1ミリグラム当りの賠償金額」
だけを決めればいい。
現実には、そんな面倒臭い
(取引費用がかかり過ぎる)
取引はできないから、政府は
「オフィスやレストランは禁煙」
というふうに介入する。

しかし、取引費用という
技術的な問題がクリアーできさえすれば、
政府が介入するより、
個人同士でお金をやり取りするほうが
社会全体の利益は大きくなる。
この考え方は、大切である。
 
「お金に換算する」ことを嫌がる人も多いが、
「禁煙」と命令されるよりは、
「吸いたければ、いくらかのお金を払いなさい」
と決められほうが、
タバコを吸いたい人にとってはマシでしょう? 
ニコチンは、生命
(これは、お金に換算できない価値がある)
に関わるから、損害の計算が難しいけれど。

地球温暖化の問題も、
「石油を1リットル燃やしたら、いくらの損害が生ずる」
というはっきりした計算がないから、もめるのだろう。

プラスの価値は市場で値段がつけられるが、
マイナスの価値は計算が難しい。

人が集まって住むと、どうしても、
お互いに迷惑をかけ合ってしまう。
騒音、日照、ゴミなど。
そういう生命に関わらない迷惑の処理は、
「野放し」か「一律禁止」かの
どちらかになりがちである。
もっと、
「迷惑を、お金に換算してやりとりする」
工夫があればいいのに、と思う。
 
騒音は、野放しにされている。
夜中にボリュームを上げて音楽を聴く人は、
いくらか払ってもらいたい。
取引費用がかかり過ぎて、難しいかな。

忙しくて決まった日にゴミを出せない人は、
お金を払って好きな時に出してもいいのではないか。

容積率で建物の高さを制限するより、
周囲の人にお金を払って
「高さ」を買える仕組みを整えたほうがいい。

(抜粋・紹介おわり)

日記かmixiか忘れたけど、「なんでもカネで解決すりゃいーんだ」と書いたことがあって僭越ながらその理屈に近いような気が。。しています。