元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

融通がきかなくて何が悪いか 欲しいものはうしろに隠れている

本来の日記部分

  • 仕事

計画している「ビジネス」のほうで悪戦苦闘中。。
本来の仕事も不安定なので余計にストレスが。

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 融通がきかなくて何が悪いか

20070505の「怒涛の反面教師シリーズ」の続きになりますが。。

ルールをかたくなに守ったり、時間厳守を最優先にしたり、周囲の反対を押し切ってまでもそれを優先すること。それが「何が悪い?」といいたいわけです。

個人的な都合よりも公共のルールだったり、時間を守ること(時間というのはもっとも普遍的な「公共のルール」でしょう)のほうが大事なのではないかという思いがここのところ強くなってきていて、
あまりに自己都合を優先するような世の中になってきたのが、皆が「最近何かおかしい」と感じている第一の原因ではないかと、確信しています。

だから、自分は、ルールをかたくなに守ることが、世の中までも変えてゆけるかもしれない、と信じて、やっている。
うーん、ちょっとこれはオーバーかな。。

で、まずは、時間管理ですよね。時間を守ること。時間を守ること、イコール、約束を守ること。ルールを守るのも、約束を守ることのひとつ。
当然です。

個人的な都合を優先することにより他人に少しずつ迷惑をかけることをわかっていないヒトが増えているのです。
あるいは、わかっていても知らんぷり。

それはなぜかといえば、どこかに書きましたが、必ずしも本人が悪いわけではなくて、それを教わっていない(学校、家庭、地域)からわかるはずもない。

そしてさらに悪いことに、それを知っているヒトも、マスコミや世相に影響されて安きに流れている。
いいオトナが安きに流れているんですよ。それが大問題なのです。

どうしても感情が入ってきてしまうんですよね。。
もう少し理路整然と、理論武装できないものだろうか。。

なぜ感情が入ってくるか、といいますと、これは、前にも書いているかもしれませんが、嫉妬羨望との闘いでもあるわけです。ルールを守ったり時間を守れたりする人間は、昨今では嫉妬羨望の対象になります。
それはなぜかといいますと、大部分の人たちは、規則正しい生活が「できなくなって」きているからです。できないから、できている人間に嫉妬する。「同類になろうよ〜」とひきずりおろそうとする。

だから、常に腹立たしいわけです。
皆が規則正しい生活はできないのだな、という、諦観がある。仲間になれそうなヒトは少ないのだな、と。。

そういう、自分を律する生活をできれば、「豊かな生活」への次のステップにいけるのですが、そこにいくのは、努力を怠らなければ難しくはないのですが、他人が足を引っ張るのを蹴落とすという作業が、とても理不尽ですし、ものすごくムダに感じるのです。
ほっといてくれ、と。私は、周囲を完全に放っているのですから。

自分について

  • 欲しいものはうしろに隠れている

スーパーで牛乳を買うときは、陳列棚の奥のほうを取ります。なぜなら、いちばん前にあるものは、賞味期限切れに近いからです。
本屋で平積みの本を買うときは、一番上のものは買いません。なぜなら、それは立ち読みの対象になっていて、汚いからです。

つまり、同じ商品であっても、一番目立つところにあるものはもっとも商品価値が低いものなんですよ。
この行為を「セコい」ととりますか? ふつうに経済原則にならっているだけですよ。同じ値段であれば商品としての価値が高いものを選ぶのは当然。

また、全く同じ商品なのであれば価格が安いものを選ぶのは当然。ただし、コストは意識しなければなりません。莫大な交通費をかけて安売りセールに行くのは無意味です。

売り手は、買ってほしい商品を目立つところに置きます。「買ってほしいもの」とは、「お客様のためを思って」の商品ではありません。「早く捌けたいもの」です。
これも、当然のことなのです。
店側が早く捌けたいものを、つかまされるのも癪です。もちろん、店側が早く捌けたいものイコール、真に求めているもの、であればいいわけです。かつ、適正な価格であれば。


なぜこんなことを書いているかというと。。 ムカシの記憶の1コマを思い出したからです。

ムカシ、たまにガンプラを買いに行ってたプラモ屋のおばちゃんは、ガンプラ仕入れしても、売れ筋の商品は隠してました。
その店は小さい店で、細々とガンプラ仕入れていたので、コドモたちの間では穴場的存在でした。足しげく通うとたまに掘り出し物がある、みたいな。。
大きなデパートでガンプラのために行列して、買えないときとか、チャリでそのプラモ屋に流れてきたりしていました。

なぜ隠すのか、今思えば不明なところもありますが。。
たぶん、売れ筋でないほうを先に捌けたいからではないかと、考えます。
「行列のできるラーメン屋のとなりのラーメン屋もけっこうやってゆける」理論と同じです。
売れ筋のガンプラを遠路はるばる買いにきたが、「ない」といわれたときに、「せっかく遠くからきたから。。」と、売れ筋でない商品を1コ買ってかえる。
店の思惑どおりです。それが、商売です。

でも自分はなぜか、その隠し場所を、知っていたのです。詳しくは忘れましたが、確か、陳列棚の間の隙間から、なぜかウラの在庫が見えたんですね。
それを知っていたのは私だけだったのかもしれませんし、バレバレだったのかもしれません。あるいは、隙間から見せるのが店の作戦だったのかもしれませんが。。

隙間からちらっとだけ見えるので在庫の全貌はわからないのですが、たまに、自分の買いたい商品が見えたりするのです。

最初にその隙間に気付いたときは、「デパートで行列しても欲しいプラモが買えなかった、かわいそうなコドモ」を演出して、「●●の1/144って売ってないですか。。」とか細い声でおばちゃんに言ってみたところ、「あー、そういえばあったかもねえ」と、ウラから持ってきて売ってくれました。
コドモながらに、演技をきかせていましたね。。

おばちゃんは、在庫の片隅にたまたま埋もれてた、みたいな演技をしていました。「あたしゃどれが売れ筋でどれが売れ筋じゃないかようわからんのだけど。。」といわんばかりに。
あれはウソでしたね、間違いなく。

そのときは、常連ではありませんでした。

その後は何回か通ってもフラれ(欲しい商品が、表にも「隙間」から見えるウラにもなく)
次に行ったときに、「隙間」の奥に自分の欲しい売れ筋の商品を見つけたときは、たまたま独りで行ってたこともあり、「あそこにある!」とはっきり指差していいました。「あれ(奥にある在庫)をくれ」と。

そのときおばちゃんは、一瞬きまりの悪そうな顔をした、と記憶しています。
でも平然とした顔で、「あー、あれがほしいのかい」と、それをウラから持ってきました。
「なんだ、これも表に陳列していれば売れたのかいな」みたいな感じで(おそらく演技をして)。。

その後、その店には行かなくなってしまったのです。なぜなら、ガンプラのブームがあっという間に収束したからです。コドモは移り気なので、ガンプラ目当てにプラモ屋に通うこともなくなりました。
もしかしたら、あの隙間はすぐにふさがれたのかもしれません。


ガンプラといえば、抱き合わせで買わされたりもしましたね。。 買いたくもない、ドクタースランプのプラモとかと一緒に。つまり、倍の値段で買っていたのです。いや、買わされていたのです。アクドいおっちゃんに。
上に書いた店とはまた違う、田舎のほうにある玩具屋でしたが。。
今考えればあれば何とか法違反なのではないでしょうか?

でも、倍の値段でも飛ぶように売れていた。


商売って、売り手と買い手の化かしあいですよ。売り手がコドモにたかる(ただ売るだけでなく)のはサイテーでしょうね。

とにかく今は、「つかまされたくない」というところです。こちらも「リテラシー」とやらを身につけて。。