時間について(5?) 書くことは「自分アソビ」
本来の日記部分
- 体調
マラソンの影響なのか、わからないのですが、腕の手首〜ひじまでの間が、「痛い」と「むずがゆい」の中間ぐらいの感じになることがあります。常にではなく断続的です。
- カレンダー(予定の記入というよりはほぼ日記)はこちら
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自分について
- 自分アソビ(【重要】マーク)
日記、mixi、あるいはメルマガまでも利用して、どんどん思いを書き出してゆくというのは、これは究極の「自分アソビ」なんですね。
世間一般的には、「アソビの中からクリエイティブが生まれる」のでしょう? であれば、自分アソビして何か悪いかよ、ということになりますよね。
アソビというのは奨励されるべきことではないのですか? オトナであってもアソビ心が大切なのではなかったですか? 節度のあるアソビとはナンですか?
再録・継続
- 時間について
周りの人たちの時間管理のルーズさについては、不満を感じることが多々あります。
ビジネスの世界で成功している人たちは、高い確率で時間管理ができています。ですから、ビジネスの世界において時間管理ができない人たちは、成功することを放棄しているということです。そして、そのことに気付いていないか、あるいは気付いていてもその事実からは目をそむけています。
成功していてかつ時間にルーズに人もいるようですが、そういう人は常人にない才能があってまわりがちやほやしているか、常人にないカリスマ性を持っている、ということです。そういう人も長い目でみれば、成功しているように見えるのはほんの一瞬かもしれません。
- ニューオータニ(20061112)
(略)ガーデンラウンジで日本庭園を見ながら食べたかったのですが、行ったのがちょうどお昼で、だいぶ並んでいました。
午前の予定が遅れると、昼にかかってしまってこうなってしまうのは想定済だったので、私はそうならないように動きたかったのですが、時間どおりに動くことのできない「他人」のおかげで、ある意味予定どおりの結果となりました。
スケジュールというものに対してルーズな、レベルの低い他人と行動すると、自分の実現目標に支障がでてきます。
こういうときに、どのような反発があるかというと、、
「あなたの本気度合いがわからなかった(聞いてなかった) あなたがそこまで本気だと知っていたら自分はもっと違う行動をとっていた(つまり、遅れることはなかった)」と。
人の「本気」がある一定以上でないと自分の生活を曲げる気にならない、と。
まず、「自分のせいではない」という理論武装をするために、「聞いてなかった」を連発します。これが、低レベルの証ではないかと思っています。
阿呆らしくて絶句、脱力してしまいます。集団において誰の思いが本気かどうか、は全く関係なく、人間同士の約束の基準値として「待ち合わせ時刻」という考え方があるわけです。それを、全会一致で決めたのであればそれに従えばよいだけの話です。
その「待ち合わせ時刻」ははっきり聞いているのにも関わらず「本気度を聞いていない」というのは。。
何かおかしいでしょう。
こういう人は、たとえば自分の海外旅行のためであれば、4時に起きることもできます。ただし、プライベートでの人との待ち合わせには必ず遅れます。さらに、普段の節制がないがために仕事でも遅刻しがちになります。
ルーズか否かの尺度は、時間だけではないかもしれませんが、まず、他人との関わりあいにおいて時間にルーズな人、加えて、にもかかわらず自分のスケジュールには従順な人、というのは、「要注意」とレッテルを貼られるのは当然。それは、世の中の知恵です。
仕事をやっていると、リスクを想定して、それを防ぐためにどうするか、というのは常に考えておくものですが。。 それをできない人種はたくさんいるわけで、そんな人たちに自分の人生をひきずられたくないものです。なぜ自分が尻拭いをしなければならないのか、という思いは常にあります。
私にとっては、「低レベルな他人が低レベルな行動をとる」ことがリスクなわけですが、それに対して自分は無力です。ですので、そういう人たちとお付き合いをしないようなリスク回避しかないのです。
- 豊洲(20061008)
豊洲の後、汐留で会食するはずでしたが、そもそも豊洲の大事な用事に1時間遅刻してくる輩がいたので、すべてのスケジュールが押してしまったため、予約をキャンセルしました。
自分の遅刻によりたくさんの周りの人間に迷惑がかかることを認識していないんですね。自分の都合のためだったら周りを振り回すのは当然、と考えている「オレサマ体質」です。ロクに謝りもしません。
言い訳だけはたくさん出てきます。が、それらはすべて、早起きすれば済む話です。早起きする「能力」が欠落しているのです。社会人としては、早起きできないのですから、無能に等しい。
自分が「大物」であるというセルフイメージがなぜか肥大していて、大物であれば遅刻もしてよく、周囲を振り回してもよい、という考え方なのでしょうが、その自分が大物であるという根拠が、周りの誰も納得させられるものではないのです。周囲からは全く理解不能なのです。
その「大物」の根拠として、たとえば、「ポテンシャル」という言葉が当てはまりますが、いい歳をして「未完の大器」を気取っているのであれば、笑い話にしかなりません。
「自分はものすごいポテンシャルを持っている こんなはずではなかった」と毎日念仏のように繰り返し思っているのでしょう。
ただ単に、結果が出ていないのです。
ところで私は、その食事をとても楽しみにしていたのです。予約をしたのは私で、適当な店を探して予約してほしい、と頼んだのは遅刻した人間です。非常に理不尽な話です。
そういう欠落した人間のために自分の予定が振り回されるのは本当に不幸だと思っているので、なるべくそういう人からは距離をおきたいものです。世の中がそういう人間だらけになってきたら、独りでもかまいません。そもそも、根本のところで話が合わないのです。
たとえいろいろな才能が劣っていたとしても、そもそも欠落した人間よりは人として優れている、という誇りを持っています。
が、特に才能もないのにも関わらず、欠落していて、さらに悪いことに自意識だけは肥大している人間は、どう扱えばいいのでしょう。そこまでなってしまった人間に対してはもう手の施しようがないのです。自滅を望むばかりです。
(再録おわり)
時間について、は年末に一度まとめました。
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061229
待ち合わせとかもそうですが、遅刻が多かったり、全体的に行動が「遅いなあ」と他人に思わせる人というのは、時間をジュンダクに使ってるということです。時間の無駄遣いです。
いつも書いているとおり、それは各自の勝手なのですが、自分、あるいは周辺の人たちの時間もそれに吸い取られてしまうので、そういう人の行動にはあわせないほうがよいです。
もしくは、そういう人の行動には哀れみをもってあわせてあげましょう。