元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「苦労を今しておくこと」について(2) 腕組みをして写真に収まる料

トピック

  • 歯痛

桜が咲く頃には解放される、という話ですが。。



活動・活動に関して(散歩、都市論etc)

  • 都バスの運転手

都バスには頻繁に乗ります。都バスの運転手のサービス、対応は、年々よくなってきています。
ですが、都民からの、都バスの運転手に対するクレームは一向に減らないようです。
ということはおそらく、クレームを誘発する悪玉運転手は一部の限られた人たちなのでしょう。それは間違いなくベテランでしょう。
都電時代から引きずる、運転士としての無用なプライドを未だひきずって。。 前時代的な、化石のような人はどの現場にもいるようです。
経営層も、組合がうるさくてそういう人材を切れないのでしょう。

ところで、なぜ都バスの運転手に対するクレームが減らないか、の最も大きな原因は、給料が高過ぎ(と世間ではいわれている)だからでしょうね。ここでも嫉妬羨望が出てきます。給料の本当のところは知りませんが。。都民は、都バスの運転手は相当な高給取りだと、思っています。

「ただバスの運転してるだけで(ロクなサービスもせず)高い給料取りやがって。。(しかも自分たちの税金で)」という認識ですね。


運転手に求められるのは今、「卓越した技術」ではありません。安全運転できるのは当たり前(2種免許を持っている時点で)で、求められるのは真のサービス、それは、心からの気遣い、優しさ、親切心などが凝縮した「結果」です。その心持ちが、結果として、お年寄りへの親切になったり、「立っている人に負担がかからないように」やさしくブレーキをかける、であったり、そういった行動につながります。

プライドの高い人たちにそれができるでしょうか。客(庶民)を見下していないでしょうか?
まず、口調からして。。

「仕事でやっている」というサービスは、客に見抜かれるのです。

なんだか、タクシーの運転手も全く同じであるような気がしてきました。

運転手の「技術を駆使」というと、それはそのままスピードにつながってゆくような気がするのですが。。偏見でしょうか。

タクシーであれば、道を知っているというのが大前提だと思っていたのですが、今、その前提は崩れました。タクシーの運転手はあまり道を知らない、という前提でタクシーに乗らなければならなくなったのが悲しいところです。
ということは、私からタクシーの運転手の技術(道に関する知識)を見切ったということです。タクシー会社はこんな素人に見切られてしまって、それでいいのでしょうか。昨今はタクシー会社としてのプライドを捨ててまで素人上がりの安い人材確保に奔走していますからね。。
そして、それが業界不振の根本原因だということから目をそらし続けていますし。。


自分について

  • 「苦労を今しておくこと」について(2)

このトピックについては昨日、タイピングのノリが(「筆の乗り」が)よかったので、良い書き出しができるかもしれません。

大きなテーマとしては、なぜ自分が、「苦労は今しておかなければならない」という強迫観念にも似た思いを植え付けられたのか、というあたりです。

「誰に」植え付けられたかといえば、それは間違いなく自分でしょう。

そのトリガはといえば。。 「大器晩成」の話は前回書きましたが、いつごろ、このような思いに至ったのか。。


ところで、私は、どん底レベルの苦労はしていませんので。。
実家は中流でしたし、衣食住に困ったことはありません。

大学に出てきて一人暮らしをしていた頃、周りには同じように地方から出てきて、けっこう本気でお金がない人たちがいました。が、彼らは、たまたまそのときお金がなかっただけで、(あるいはストイックにそうしているだけで)実家が困窮していたわけではなかったと思います。
たとえば親の仕送りがない、といっても、それは自立心を植えつけるための親の愛情なのかもしれませんし、単に子供が親の意見と反対の行動をして東京に出てきて、親の逆鱗に触れて仕送りがないだけかもしれません。

私の、「大学進学のために地方から上京して一人暮らし」という「コース」は、親の望む方向とほぼ一致していたため、私はふつうに仕送りをもらっていました。(もちろん、潤沢ではありませんでしたが)

ということで、苦労をしていない「ぼんぼん」だったために、苦労をしなければならないという観念が植え付けられた、という結論に達しそうなのですが。。
何となく本質は違うような気はするんですよね。。

「そこまで思わなくともよいだろう」といいますか。。
私は本当に「ふつう」の逸材だったので、何かしらのトリガがなければ、「苦労をしなければならない」という考えにまでは至らなかったはずなのです。

そして、そう思っていた割には、親の仕送りを拒否することなくもらっていましたし。。


と、ここまで書いてきて、ひらめきました。
矢沢永吉さんは、著書かインタビューか忘れましたが、上京するときに、「夜汽車でなければならなかった」と言っています。仮にそのとき、財布の中に特急電車に乗れるお金があったとしても、シチュエーションとしては「夜汽車で上京」に「しなければならない」という考え方です。

まさにこれです。

自分の心の履歴書を、充実させよう、ということです。
my心の履歴書が、あたりさわりのない行動、流行に追随する行動、等により他人と似たり寄ったりのムダなページが増えることを嫌い、インパクトのある「履歴」を少しでも多くしたい、といいますか。。


ただし、矢沢永吉さんは、夜汽車で上京してその後の「ビッグになる」というストーリーもおぼろげながら見えていたはずですが、私は、未だにストーリーが見えていないような気がするのです。。