元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ムーブメントに乗るということ(最終)

トピック

  • 本日も会食で「場違いな」食事が続きます。

外食・食べることに関して

活動・活動に関して(散歩、都市論etc)

  • 披露宴イコール観光

ステイタスのあるところで式を挙げるということは、本人たちのみならず、列席する関係者にも必要なのだな、ということがわかりました。たとえば田舎から出てきて「明治記念館に行って云々」という土産話ができます。その後、「今流行りの」六本木ヒルズに観光に行った、というおまけもあればなお良し、です。

これが、知る人ぞ知るレストランでのウェディングパーティー、神前式でしめやかに、となると、気の合う人たちであればよいのですが、ネームバリュー、話題性がないのです。
人を呼ぶ場合そういった配慮も必要なのでしょう。

自分について

  • ムーブメントに乗るということ(2)

昨日は、書き出していて、話が良い方向に展開しました。
この件についてはそろそろ最終回にしたいと考えています。

都心に住むということ自体が、自分が「一大ムーブメント」に乗ろうとして起こしたアクションであること。
都心という、一大ムーブメントの渦中で、極小のムーブメントを自分で作れるか(あるいはそれに乗れるか)、条件としてはそれは歴史に名を残す(ぐらいの)ものでありたい、それを実現するにはどうするか、という話でした。


ここで実現方法を編み出すのは困難なので、もうこの時点での結論はこれにするしかないのではないか、と思います。
つまり、自分は歴史に名を残すぐらいの小さなムーブメントを作りたい(あるいは乗りたい)という吐露ができただけでもよし、と考えるということです。


この件に関しては、若干楽観的であり、頑張って生きていればいつかは乗れるのではないかと思っています。自分は至らないところはあるにせよ十分頑張って生きているように思います。
ただ、ムーブメントを「作る」というのは、それは「仕掛ける」ということなので果たして自分にそれができるのかどうか。。 おそらく難しいでしょう。


本当に頑張り始めたのは30歳も半ばにさしかかろうか、という頃です。
これは、お金にある程度余裕ができた頃と重なっています。生活でいっぱいいっぱいだと、何も身動きがとれない、ということは痛感しています。(その時期は通過しています)
良いアイディアも生まれてきません。


若くして成功をおさめている人たちも多々あり、若干あせりを感じることもありますが、自分は大器晩成型である、と肝に銘じて日々精進してゆくだけですかね。。


何か、受身というか。。 運命の出会い的なものを待っているような気もしていますが。。
ただ待っているだけではないので、一概に受身とはいえないでしょう。

日々精進していれば転換点は必ず訪れると思うのですが、問題なのは、それに気付かないことです。ですので、常に耳をすませている必要があります。
その転換点を運んでくるのが、人なのかもしれないわけです。それが「運命の出会い」なのでしょう。


こればかりは機が熟さないと、どうしようもありません。。


ちょっと話が逸れますが、その転換点が仮にお金に絡む話なのであれば、それは、せこせこと日常に不満を持ちながら貯蓄している人には訪れないような気がするのです。それは以前より感じていたことです。
お金は、回り物なので、使うべきところでは使おう、と常に考えています。(とはいっても、自分で使える金などたかがしれていますが)
使い方がうまい人に金運が向いてくるのではないか、ということです。
この話はそれほど膨らみそうにないな。。
お金について何を頑張れるかというと、「使い方がうまくなる」ということに尽きます。つまり、自分が現状で最大限満足できるような使い方をし、そのために極力無駄を省く、ということです。


では、「横文字職業に対する感情」の話に戻りましょうか。。