元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「小損を取る」(17) すがすがしい1日のために

stevengerrard.hatenablog.comいきなり本題から。なんか似たようなことを何回か書いているような気もしますが... すみませんしつこくお付き合いください(笑)。
前々回の続きで、「すがすがしい」という感情?気分?状態?は、損か得かとかそういうレベルを超えて、常に貪欲にとりにいきましょう、という話です。
#特にアラフォー、アラフィフ世代の方
◆すがすがしくなるためには(具体的に)
朝、すがすがしく目覚めるためには、おおよそ3つの条件があり、
ふつーに健康であること(恒常的に痛い箇所がない)
仕事とプライベートがそれなりにうまくいっていること(クリティカルな悩みがない)
良質な睡眠をとっていること(ほどよい長さ、ほどよい深さ)
...けっこうハードル高いな...(苦笑) これをクリアできている日本人のビジネスマンってどれぐらいいるんだろうか?
このような状況が恒常的に続いている人がいらっしゃるのであればもはや成功者ですよね。私も、毎日ではありませんがこういう日が増えてきています。いずれ成功者になるのでしょう(笑)。
まぁそれは冗談ですが、アラフィフ世代が「朝目覚めた瞬間からすがすがしい」という快を経験してしまうと、もうヤミツキになってしまって、やめられませんよ(笑)。仕事は朝からはかどりますし、生活すべてが好循環します。
自分自身を、自分で、仕事がはかどる状態(生産性が高い状態)にもっていく姿勢が大事だと思うのです。環境依存ではなく。それが結果的に「すがすがしい」の遠因になっていきますね。
◆すがすがしくなるための朝の生活
さて、ふつうの人間がふつうに生きていれば、起きた瞬間からすがすがしいなどということはあまりないわけで、それを補完するのが良質な朝の生活です。
つまり、目覚めた瞬間にすがすがしくなくとも、朝の良質なルーティンによりかなりいいところまでもっていくことが可能ということです。
たとえば、
朝早く目覚めてしゃっとカーテンと窓を開けて朝の空気をめいっぱい吸い込むとか
晴れた朝には外に出て思いっきり朝日を浴びるとか
家族で「おはよう!」と言い合うとかあるいは朝の散歩中コンビニの店員さんにおはようございますと挨拶するとか
自分に合ったストレッチ、体操、ヨーガなどを行うとか
サラダ・ボウルをつくってもりもり食べてみずみずしい野菜を摂取するとか、そしてそれを家族にふるまうとか
こういうことを続けていれば、仮に朝の目覚めがどんよりしていたとしても、良質なルーティンがネガティブモードを少しずつ打ち消していってくれるので、良い1日のスタートが切れます。
朝の目覚めがとてもよかったときなどは、朝のルーティンとの相乗効果で無敵状態に(笑)。ということは、朝の目覚めが良い日を増やせば、朝のルーティンとの合わせ技で、けっこう早いピッチで人生が変わります。これホントです。
ただし続けないとダメです。ということは言い方を変えると続けられることである必要があります。続けられることというのは、行うと気分がよくなることであり、それは人によって少しずつ違います。ので、そういうルーティンを少しずつ見つけていけばよいと思います。
それと、ルーティンは取捨選択ではなく足し算です。行うと気分がよくなること、は、貪欲に全部やればよいと思います。そのための時間を少しずつ捻出していきます。そうすると自然と早起きになっていくはずです。
私の場合は目覚めの感覚に関係なく自動的に朝のルーティンを始めてしまう身体になっているので、「あまりよろしくない外的要因(※)」さえなければけっこうすがすがしい気持ちをキープして仕事をはじめることができます。
(※)たとえば子供の体調がよくないとか、そういうことです。
◆通勤
さて、万全の状態で一日をスタートしたとしても、大都市圏に住んでいる方であればいきなり満員電車、通勤ラッシュですがすがしさを削がれる可能性大です(苦笑)。
ですが、今は便利な時代になりました。スマートフォンkindleなど、あの「異常な空間」から逃避するためのギアがあります。ので、どんどん逃避しましょう(笑)。男性は、痴漢に間違われないように常に両手をふさいでおきましょう。音楽を聴いたり動画を見たりする方は、音が漏れてるぞとかDQNに言いがかりをつけられないよう、音量はセーブしたほうがよいです(苦笑)。
朝という一日でいちばん大事な時間帯に、あの満員電車に乗っている「どんよりした人たち」に精気を吸い取られないように自衛する必要があります。
あの人たちに精神的に引きずられてしまうのは愚の骨頂です。そして、あの異常な空間を異常と思わなくなってしまったらお終いだと思います。
◆日中
そしてもちろん、日中もさらにすがすがしさをチャージしていくわけです。そのためにどうすればよいかというと、まずは一生懸命働くことでしょうね(笑)。どんなタームでも、小さな作業を集中してやって終わらせたときでも、一日しっかり仕事をして、早く上がれたときの夕方の空気とかも、すがすがしさはありますね。
いや、たとえ深夜残業になったとしても、一日のやるべきことを終わらせれば、すがすがしさは残るはずです。
仕事でもプライベートでも、ふつーにがんばってみることですよ。汗をかくことです(比喩的に)。
まぁ受け身な仕事ではすがすがしさは残らないでしょうけどね(苦笑)。
結果を出したり褒められたりすると、「嬉しい」。がんばって、その過程に自身で納得感があるときは「すがすがしい」。そんな感じでしょうか。
◆他人本位
次に、すがすがしさをゲットするためには周りに親切にすることです。もっとカタくいうと、他人本位で物事を考え、実践するということ。
他人がちょっと困っているときに見て見ぬふりをしないこと。(他人がとてつもなく困っていれば、誰でも助けざるを得ないですからね)
他人のことを思いやる行動を連綿と行うことによりガンガンすがすがしくなれます(笑)。
でも、ビジネスにおける「便宜をはかる」は、これには該当しないと思いますね。つまり、必要なのは下心なき親切であって。
何か商談をとりたいから何かしてあげる、とかじゃなくて、ビジネスがまったく絡まないところでの親切ならばよし、と。
◆優先順位
私にとって「すがすがしい」を貪欲にとりにいくのは、ここ数年、もっとも優先度が高いです。
この歳になってくると、お金よりも時間のほうが大事です。そしてお金よりも健康のほうが大事。時間と健康は同じぐらい大事。でも「すがすがしさ」はもっと大事です。
時間よりもすがすがしさのほうが大事、とはいっても比較できるものではないかもしれませんが、つまり、たとえば上述した朝のルーティンとか、すがすがしさをゲットするための時間は、最優先で割いていこう、ということです。
「健康」と「すがすがしさ」も一概に比較できるものではないですが、以前書いたかもしれませんが私は「すがすがしさ」は「健康(単なる身体的な)」の上位概念だと思っています。
よくわからない健康食品を摂取するとか、ジムに通うとか、(単なる身体的な)健康をゲットするためのHow Toを実践しなくとも、すがすがしさを貪欲にとっていけば自然と真の意味での健康になれます。
おっと最後は健康の話になってしまった...

21世紀の勝ち組とはいかに「キラキラしてる」か

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21世紀の勝ち組とはいかに「キラキラしてる」かだよ。いかにキラキラしてる時間を長くとれるか。あるいは、深く短くでもかまわない。自身で納得感があるのであればね。

そのへん、一見20世紀と変わらないようにみえるが、実は違う。20世紀までは、ぜんっぜんキラキラしていないけど安定、っていうライフスタイルはかなり羨望のまなざしでみられ、勝ち誇っていたが、それが21世紀ではまったく!賞賛されなくなってくるんだよ。

つまりね、生まれてきた意味を、20世紀よりもより問われることになる。ただなんとなく生き、死んでいくだけでは何ら賞賛されないキビしい時代なんだよ。

叱らず、怒る

stevengerrard.hatenablog.com

とことんまで、自分が親から躾けられた(のであろう)「常識」を疑い、かつ現代社会に流れているなんとな~くな「ゆるさ」「節操のなさ」には迎合せず、自分の子供らとともに新しい「秩序」(?)を模索していこう!

とか考えてるとね、結局のところ感情のままでいいんじゃね?っていう。親も、子も。

子供は、外で相当ため込んでくるから(われわれがガキの頃と比べて)せめて家ん中では鬱屈をためないでほしいのね。
かといって、はっきり言わせてもらうと俺らオトナの社会も、そうとう昔と比べてため込んでくるよ、我々は。
だから、我々オトナもせめて家の中でまったりしたいなー、と。

親も子も家でまったりしたい。でも衝突してはならない。

結論は、間はしょるけど、親はやっぱ相当感情の陶冶が必要だとは思うね。安岡正篤さんの言うとおりね。
俗っぽくいえば、ガキのままオトナ(親)になっちゃいけないんでしょやっぱ。

孔子は七十にして心の欲する所に従えども矩をこえず、だっけ?そのようなことをおっしゃっていたらしいが、70じゃ遅すぎる。

おっと、話を戻そう。

親がね、子供を、自身の感情を抑えて叱るべし、っていう考え方が昔から嫌いなのね。
親だって感情のままに怒ったっていいじゃん、家で。じゃないと、この現代社会では、爆発しちゃうぜ? いつか。

ただ、親が家で感情のままにふるまうためには、資格がいるわけ。それがさっき書いた感情の陶冶ってヤツで。
ガキがガキのまま子育てしちゃいかんだろってこと。真に「オトナ」であれば、感情のままに子育てしても子供に悪影響及ぼさないだろってこと。

あそれとさ、親が子供を「叱る」ってさ。。たぶん北野武さんだったかな?いってたらしいんだけど、
「ペットじゃないんだから」ってね。

ペットだったら俺たち、けっこう感情的にならずに、「叱る」ことができたりするんだよ。
それは、あまりに違うから。相手が人間じゃないからね。
人間じゃないペットの粗相に対してマジ切れするのって単なるバカでしょ。

つまり、自分の子供を「叱る」ってさ、なんかペット並みに扱ってるっちゅーか。。
「お手!」みたいなさ。

自分の子供に対してはもっと、感情と感情でぶつかってってもいいんちゃう?って俺昔から思ってるんだよね。
で、けっこうそうしてるんだけどw

いやね、エラそうに教育論ぶってるヤツらの危惧してることは、わかるよ。
俺たち子供に対して圧倒的優位じゃん。メシ食わしてるわけだし育ててやってるわけだし、
当然力も強いし。

という力関係を利用して虐待したり言葉の暴力をふるったりして子供のトラウマになる、っていうのを恐れてるんだと思うんだけど、
でもそれは「感情の暴発」でしょ。

いわゆる「オトナ」であれば感情的にふるまっても感情が暴発することはないんじゃねえの、っていうのが俺の楽観的な考え方なのよ。

あとはね、子供ってホント、よくみてるから。。
子供を感情を抑えて躾れば必ず二面性が発生するわけで。それを子供は、見逃さないと思うんだよな。

それよか、子供にはあんまり親の表裏を見せないほうがいいじゃん、と。
けっこうダメな頼りにならない親であっても、裏表のない人間なのであれば、ちゃんとしたようにみえて(社会的地位もあって)、でも裏表のはっきりしてる人間よりよっぽどいいと思うんだがな。

自由っつっても放縦じゃない。

blog.goo.ne.jp2017
食生活。。以外が、完全に節制が効いているおかげで、自由に食べてても全然問題ないわけさ。カロリー表示なんて生まれてこのかた、考えて食べたことなぞ一度もない。日常がちゃんと出来てれば暴飲暴食に走ることもないしジャンクフード漬けにもならんし肉ばっかりとかにもならない。
01-21 21:42
だから自由っつっても俺は放縦じゃない。毎日好き勝手食べていいよといわれてもそれは苦しい。俺はバランスの良い食生活が心地よいから俺はそれを選択する自由がある。節制が効いてないヤツらの嗜好には意地も引っ張られない。たとえばぐだっと生きてるヤツのライフスタイルとか絶対しないから。
01-21 21:44
んー言い方がよくないけど俺ぐらいのステージになると。。という言葉しか選べないんだが、自由で心地よい生活をとことん追求していくと、それがますます自分を高めていくことになる。俺の自由で心地よい生活って97%ぐらいの日本人にとっては窮屈なんじゃないかな。俺は生活にリズムがほしいほう。
01-21 21:46
その正のスパイラルにはまると、負のスパイラルに慢性的にはまっている一般的な日本人はもちろん、スパイラルにはまらずふつーに生きてる人間とも、差が加速度的について、やがて目もあてられないぐらいの差になっていく。だから、21世紀ってのは一面では恐ろしい時代なんだよ。
01-21 21:47

無と無駄について(2)

blog.goo.ne.jpさて繰り返しになりますが、行為としての「無」ということで前回前々回挙げたのが、瞑想(静かな時間)、休息、睡眠の3つです。
この場合の「無」は要は「無産」ですね。何も産み出していませんので(傍目には)、生産性はゼロカウントです。
「無」は(あたりまえですが)「有」ではありません。ですので、「無」意味を連想してしまうことが多いのかもしれませんが、「無」は「有」よりもむしろ「有意義」なのです。
現代人はやたらと24時間を有(つまり予定)で埋めようとするんですけど、ほとんどが実は「無駄」だったりします。残念!
しゃかりきになって無駄な予定を増やすぐらいなら上に列記した「無」を少し増やしたほうが間違いなく幸せになれます。増やし過ぎてもそれはそれで問題なのですが。

ぶっちゃけ、みなさんがやってる仕事も半分以上無駄なんですよ。もちろん私の仕事も無駄がゼロではありませんけども。
私20年以上SEの生態観察してますけども(苦笑)、もう笑ってしまうぐらいみんな無駄なことやってます。そして、現場のSEも薄々それに気づいているはずです。
まぁでも、自分のワークが無駄だろうがそうでなかろうが、同じく給料をもらえるのだからそれでよいのです。それどころかどんどん自分のワークを「無駄化」させて残業を増やし残業代をとりにいったりします。もしくは自ら無駄化させて残業が多いと不満を漏らしたりします。
おっと、この話を始めると長いのでやめておこう(笑)そのへんを私は批判しているのではなくて、生産性による完全歩合にならなければ絶対に変わっていかないSEの習性であり、極論すればそれはSEに与えられた権利のひとつなのかもしれません。
あるいは観点を変えると、個人単位の生産性向上/業務効率化施策であるともいえますね

長時間通勤も間違いなく無駄なんですよね。それはなぜかというと、「長時間通勤を一種の『余裕』であると考えている人間がほぼほぼいない」という意味で無駄なんです。
もっと具体的にいうと往復の通勤時間に対して給料をもらえませんよね? という意味でも無駄といってよいかもしれませんね。
そして、超満員電車に揺られての長距離通勤は、気付かないうちに心を蝕んでいきます。ということは、身体にとってマイナスなのですから、「無」の行為をしていたほうがよいに決まってますよね。
と、私なぞは思ってしまうのですが、ちなみに長距離通勤も含め、自分の環境を最終的に選択しているのはすべて自分ですから... SEのみなさんが長距離通勤、長時間労働、不健康な生活、等自ら選択しているわけですから(それを望んでいる/いないは関係ない)私含めた周囲はそれを尊重せざるをえません。
もしその環境を変えたいと思うのであれば、周りは尊重という名の傍観をしているわけですから、黙っていても周りが助けてくれる可能性は0%なので自ら動く他ないわけです。
ところがこれがですね、会社に行きたい!会社で仕事をしたい!と強く思えるようになれば、オセロで土壇場で大逆転して真っ白になるように、無駄が有意義に変わっていくのです。

あとは、同僚とか上司とか部下とか、好きでもない人との飲み会とか超無駄ですよね。
その理由は長距離通勤と同じなんですよ。長時間拘束されるのに給料もらえない、どころか持ち出し!
次の日仕事であれば午前中の生産性だだ下がり! 次の日休日であれば、前日痛飲してしまうと半日以上棒にふります。その時間のロスがどんだけ無駄かと...
それがどんだけ無駄か、といくら力説しても響かないとは思いますけども...なぜなら、反論のテンプレートがすでに用意されているので。
そして、飲みが続くと気付かないうちに心を蝕まれる...どころか心を蝕まれていることを気付かせないように会社組織に洗脳されているわけです。コワいコワい...
これも、同僚や上司が好きな人、尊敬する人、一緒に飲んで語りたい人なのであればまったく変わってくるんです。その時間は無駄ではなくなり、有意義なコミュニケーションの時間になります。
でも、なるべく深酒はしないほうがいいと思います...(笑)

ざっくりいえば仕事が好きになれば会社に「奉納」している労働時間も、往復の通勤時間も、業務後の飲みも、人生において無駄な時間ではなくなります。
つまり言い方を変えれば、給料をもらうために自分の貴重な時間を差し出しているからといってそれが有意義な時間であるとは限らないということ。
仕事を好きになる、というのは、自分の人生を有意義にするための、数多あるソリューションのうちのひとつとして、常に頭の片隅においておいて損はないと思います。
ただし、それがすべてであると考えるのはキケンです。たとえば、ものすごい高報酬なのであれば別にその仕事を好きにならなくとも多くの人にとっては有意義たりうるわけで。

人間って、自分が一番拘束されている「仕事」が有意義なものである(すなわち、無駄ではない)と思い込みたいものなんです。
昔だったら、労働の対価で受け取るお金により自分と家族を養い、役職が上がることにより社会的地位を得、それによりマイホームのローンを返済し...といった一元的な価値観によりたとえその仕事が嫌でも有意義であると思い込むことはできたのですが、これからの時代は仕事をイヤイヤやってると生産性が頭打ちになるので、成果を残しずらくなり、楽しそうに仕事している人間に追い抜かれ、それまでの努力がすべて無駄に...なんてことになりかねません。
それどころか最終的には職を失う、なんてことになったら、それはもはや屈辱でしょう。
たとえ、イヤイヤ仕事しながら定年を迎えることができたとしても、高い確率で自分の人生なんだったんだと虚しく振り返ることになりそうですし...ストレスで身体のどこかは悪くなってるでしょうしね。
そもそも我々世代、定年なぞあるんかいと(苦笑)
という意味ではキビしい時代なのかもしれませんね。

なんだか、いつものごとく脱線。長くなってしまったので、まとめ。
1日24時間を、「無」の時間プラス、(自身にとって)有意義な時間だけにするのが理想。
「無駄」な時間はいらない。世間一般でいう、好意的に受け取られている無駄な時間とは「余裕」のことであって無駄ではない。
これからの時代、週に数十時間拘束される仕事が、自身にとって無駄だとしたら、致命的。なのだが、残念ながらIT業界のSEは無駄な仕事をしている方が非常に多い。
一概に本人のせいにはできない。業界体質もあるので...
週168時間のうち、多くの人にとってもっとも多くを占める仕事は、意識して、絶対に、自身にとって有意義なものにする必要がある。オセロで白にひっくり返していくように。
(半ば無理やり)仕事を有意義なものにするための、ひとつのソリューションは、仕事を好きになること。
ただしソリューションはそれだけではない。
時間があったらお考えください。
今仕事が楽しい方、仕事がしたいから満員電車に乗って通勤するのが苦じゃない方は、今の時代かなりイケてます。これからも長く、楽しく仕事を続けていけるよう、健康に留意し「無」の時間を少しずつ増やしていきましょう!

幸福とはトラブルメーカーが周りを見渡して、いないこと

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幸福に生きる条件として環境は大事だよ。自分の心持だけじゃあどうしようもないことはそりゃある。でも細かいこといってしまえば環境も自分の心持である程度はなんとかなるんだけど、まあそれはいずれ。で環境ってのは具体的には「トラブルメーカーが周りを見渡して、いないこと」だよ。これに尽きる。

そんなこといわれても職場にいけば必ずトラブルメーカーはいる。だからなるべく離れる。とりあわない。付き合わない。業務外で飲むなんて論外。でも、どうしても離れることができないのであれば、どうするか? それが、期間限定なのかどうか、上司(とか?)に確認する。確認するときに、明確に、自分はあの人が嫌なんですという。もちろんその理由も言う必要があり、当然、あーそりゃアイツが悪いよなオマエに非はないなと上司に納得感を与えなければいけない。

期間限定であれば、ファーストチョイスは「我慢」だよ。でセカンドが「異動」サードが「辞める」。いきなり辞めるはダメなんだ。

たとえば1年限定と言質をとったとして、プロジェクトが伸び伸びになった、とかいう外的要因があったならば、我慢する必要はないよ。粛々と、異動なり退職なりの準備を進めればよい。

親戚にもトラブルメーカーはいるよね。それは、付き合わない。交流しない。あなたと交流したくない旨やんわりと伝える。それで親戚中総スカンくらったとしても別にいいじゃない。こっちから見切らないと。

でも、さっきと同様に、「まあ仕方ないよなー」という空気は醸成しておかなければならないよ。100%トラブルメーカーのほうが悪いと。

親戚よりも近いところで。。親兄弟妻子供姑小姑がトラブルメーカーの場合。。この場合どうするか?

これは、難しいよね。でも、長い長い期間限定と考えたほうがいいんじゃないかな。

最終的にはその環境から、自分が出ていくんだよ。いいんだよ、逃げたって。自分の幸せのためだもん。

親兄弟とはけっこう早い時期に離れられるよね。姑小姑は、絶対に先方に非があるのであれば逃げたほうがいいね。

夫婦の場合は。。期間限定っつっても数十年単位になっちゃうわけだから、それが耐えられないのであれば離婚するしかないと思うけど、でも夫婦はアカの他人だけに、逆に話し合いの余地があるんだよね。

 

自分がトラブルメーカーなのは論外。胸に手を当てて、自分に厳しく考えてみな。アンタ実はけっこうトラブルメーカーじゃね?薄々自覚してねえか?そういう人が幸福に生きられるわきゃないけどな。

仕事も結局、推挙であるべきだと思う

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仕事も結局、推挙であるべきだと思うんだな。

あいつにやらせればこの仕事は品質も上がるしはかどる。からやらせよう、ってことだろ結局。

自分が好きだから!この仕事したい!させてほしい!ってさ、なんか危ういんだよな。。リスキー。

いやあのね、もちろん、好きなのであれば、得意になる可能性はあるわな。でも、好きじゃなくなったり、そもそも好きなだけで得意まで至らないことは多々ある。

50/50だよ。丁半バクチじゃん。リスキーでしょ?

なんかさー、熱意?なんやそれ。儲かりまっか?って感じなんだよね。歳とると。

おまえその仕事やりてーんだったら推挙されるぐらいになれよって。推挙されるためにどうしたらわからんって?知らんがな。自分で考えや。