the「知」
えっとね「知」がね、何年か前から人間の脳みそじゃなくっていわゆる「theインターネット」に集まってるってのは、事実だと思うんだ。
もう人間っておぼえようとしないじゃん。検索すりゃ出てくんだから。
脳はある意味「解放」されたよね。
その割合はわからないけれど、もう「潮目」はとっくに超えている。知はほぼほぼインターネットに流れるようになった。
脳に「知」が集まらないということは脳「の向こう側」にある、仏教でいうところの「阿頼耶識」に「叡智」が蓄積されていかなくなるということである。
と、仮定すると。。
「叡智」はさ、人間を媒介にして地球の「文化」を栄えさせてきたわけじゃない。
と、いうことは。ふたつ考えることがあってね。
ネットってのはすでにかなりの「知」を蓄積しているわけじゃない。しかも、これ大事なんだけど、その知が「シームレス」になっている。具体的にいうと、相互翻訳されているということ。
そして、その「シームレス」になっている過程で。。ある種の「化学変化」を起こして、単なる「知」が、「叡智」に変換されているのだろうか?
人間、というか人間の仕業じゃないんだけれど、総体としての「世界」(まあ宇宙でもいいけど)っていうのは、人間を媒介にして?利用して?膨大な「知」を叡智に変換してきたわけじゃない。つまり、変換装置?つーか「機関」は完全に確立されているわけ。
そういう装置って、インターネットのどこかに、あるのかね? 俺が知らないだけで。
あ、いや、違うな。。(説明が難しいなこりゃ)
んーとね、そういう装置は、ないんだよ間違いなく。なぜなら、インターネットは(たぶん)有機体じゃないから。
だからね、その代わりにどうしてるかっつーと、「叡智すらも人間がパッケージングして、インターネットに食わせてる」ってこと。
その、オブラートみたいなものにくるまれた「叡智もどき」もね、単なる情報も、ガンガンありえないスピードでほおりこんでいると、何らかの化学変化を起こすに違いない、と俺は踏んでいる。
えーっと、インターネットの世界に「神」はいないの。神的存在が人間なのであってね。
インターネットは今後どこまでもどこまでも自律的になっていくんだけれど、自ら「叡智」を蓄積して、かつ人間にフィードバックするという所作は、永遠にできないと思うんだな俺は。
さっきも書いたとおり「叡智」すらも与えられて、飲みこんで、叡智もどきを生成していくというかね。
おっと脱線してしまった。次に、阿頼耶識にあるであろう、人類創世記から蓄積されている膨大な叡智があるじゃない。
さっきも書いたように、人間を媒介にして、その叡智によって世の中が発展してきたわけでね。
でもこれからインターネットがますます膨張して叡智(もどき)の蓄積場になっていくのならば。
これからの人類の発展は何(どちら)をよりどころにしていけばいいのだろう。
つまり。。もう阿頼耶識側へのインプットは枯渇していくわけよ。だって人間がおぼえようとしないんだから。
人間を媒介にして知の蓄積もなくなっていくし、ということは叡智への変換がなされないことになる。
あるいは、仮にその変換装置は生きているのだとしても、ぽんぽん生まれてくる叡智は「スカスカ」っていうかね。。
だってなーんも入ってこねーんだもん情報が。
でね、俺はこれは劇的なパラダイムシフトが起こらざるを得ないんだろうなと思っていて。
具体的にいうとペッパーあたりのロボットが、直に叡智(theインターネット)と俺らの知らないプロトコルで会話して、
劇的に世の中を変えていくんじゃないかなあ、と踏んでいる。
人間をのけものにしてw ますます便利な社会になっていくと思うよっ(ヒニク)
欲しいものはほぼ手に入れた。。?
欲しいものはほぼ手に入れた。99.99%。ほぼ[済]
ってゆー気持ちでいることだ。
だってそれが事実なんだから。
たとえば空気や水。そこからはじめることだ。いやもっと前からだ。
そもそも人間に生まれたじゃん。それで98%。
人間としての身体と脳みそを手にいれた!これで歓喜せよってこと。
でその機能を維持するための空気、水、食べ物がふんだんにある。
それをあたりまえと思うなよ。
あ、あとは日本人として生まれ、育ったという事実!
別に日本人が突出して素晴らしいとはいわんが先進国に生まれたってのがどんだけものすごいインパクトの偶然かってゆーね。
でさ、俺らが日常でしつこく求め続けてるカネとかさ、モノ、あるいはステイタス、みたいな?
そういうのを貪欲に求めるのはまったく!否定しないが、それは最後の0.01%にすぎないのだよ。
ラストピースね。
意識上での、自分が欲しいものをゲットしてはじめて「完成」というか。
しあわせに生きているヒトたちの共通点
しあわせに生きているヒトたちの共通点をヒッシで探したんだよオレは。
まずひとつめは、カンタンなことで、
「しあわせに生きようとしている」
これだけ。
これすら、やれてない人が多い。。というか日本人のほとんどがそう!
不幸なりたがりだから。
もうひとつの共通項はね、そういうヒトたちはオトナになってからかーなーり!努力してるっていうこと。
および、その努力を努力と思ってない、っていうことね。
そういうヒトたちの行動ってすごいのよ。こりゃかなりの努力だなと思ってほめたりすると「え?」って顔をする。当然ですよ、と。ムリしてないわけ。ホントにホントに、ふつーにやってるの。オレらだったら「ムリ!」と投げ出すぐらいの行動量をね。
だからさ、もはや凡人との差は天文学的なのね。
言い方を変えるとどーだ!努力してるぜ!みたいなヤツはしあわせじゃないわね。
これも、アタリマエのこと。
スペースは有限だ!
たとえば子供にね、お金がないんだからおもちゃガマンしなさい!とかいうじゃない。
でもさ、ホントは「スペース」がないからガマンしなさい、なような気がすんだよね。
カネがないからっていうより、家にはムゲンにモノはおけないんだよっていう。それはね、どんな広い家であっても、庭付きであっても、同じでしょ。
だからね、カネの躾も大事なんだけどさ、子どもには、モノを増やさない躾っての? 出したモノは片付けなさいっていうのはどこの家庭でもいってると思うんだけど、そもそも欲望のままにモノを買い足していかない、モノを増やさないのと片付けるのは同じことである、といったようなことを教えるのもすごく大事だと思うのね。
親がまず見本を!
ただ望んだってダメなのよ。
まあただ望んだってダメなのよ。
強く望むとね、まず努力したくなるわけ。スポーツでいう「練習」ね。
言い方変えるとね、努力(練習)したくならないような願望なんてカスだよね。すぐうっちゃっていいよ。
だってさ、強く望むとふつー「むずむず」するはずだもん。「むずむず」ってのはね、「何かやらなきゃ何かやらなきゃ」っていう感情ね。ヒッシこいて「何かって何?」を探してる状態ね。
それって100%じゃないからね。「何かって何」は試行錯誤が当然。「わかった!」とか思って何かをやってみてぜんぜん的外れなんてことは日常茶飯事だって思っといたほうがいいよ。
たーくさんやってみるんだよ。
何か強く望んだことを実現させるため、パラレルにたーくさんやっている状態、まできたらしめたもんだ。
あそうそう、その状態まできてはじめて、「結果」を漠然とではなく具体的にイメージできるわけね。
何かを強く望んだとして、それを実現さすためにいろいろやっているうちに、どうしても微調整が入るわけ。ぶっちゃけその願望がちっちゃくなっちゃってることも、あるさ。現実を見据えるとね。
でもまあ、それは仕方がない。願望のベクトルさえあってれば、別にいいの。
でね、これはこの努力を続けていたら実現可能ではないか?という確信めいたところまできたときにはじめて、結果の具体的イメージがはじまるわけよ。
この努力を続けていたら「どうなるか?」をイメージすることそのものなんだよね、実現可能では?と確信することってのは。
生きずらさを解消するためのヒントは、いろんな本の中に書いてある
いいオトナがね、この現代社会で「生きずらさ」を感じまくってるんだとする
ならば、それは単に勉強不足なんだよw
だって生きずらさを解消するためのヒントは、いろんな本の中に書いてあるじ
ゃない。それを読んでないだけ。
真剣に見つけようともしないし読もうともしない。
まつまりホンキじゃないのよ。
あそれとさ、この現代社会って昔とくらべて相当、生きずらくなってんのは事
実だよ。それ知ってる?
つまり、昔の価値観のままじゃ生きずらくなるのは当たり前だっていうこと。
変わり続けないといけないの。
いや、「変わり続ける」じゃ甘いんだな。「レベルアップし続けて」いかない
といけない。
自分がレベルアップする気もねえくせに「生きずらい・・(「たすけてドラえ
も~ん」モード)」って悦に入ってるようじゃねえ。。と。
時間がないから勉強なぞできない、とかいってる人間の90%以上は1日何時間
もSNSみたりテレビみたりしてるわけさ。アホか、と。
カネねーカネねーってうるせーから分析してみるとケータイ2万!とかね。こ
れはゆずれない!とか。。馬鹿じゃね?
本来ね、現代人って自分が学びたい!と思う分野を勉強する権利があるわけね
。(オトナの特権ね)ただ、そういう自称生きずらい系の人たちってさ、その
前にまず生きずらさを解消するためにはどうしたらよいか、っていう勉強をし
なきゃいけないのよ。集中的にね。それをやってから、さあやりたいこと、っ
ていう順序であるべきなのね。
だからなんつーか、もったいないっつーか、かわいそうっていうか。。
自分のやりたいことがあるのであれば(ていうかそういう系の輩ってやりたい
こともないんだよね)、生きずらさを解消するすべを身につけてから、ではあ
るのだが、でも、自己分析を進めてきたら「生きずらさ」なんてぜんぶ気のせ
いでした、っていうところに帰結するに違いないんだよね。
「5分後行動」批判
自分の話だけど、8:30に●●駅前のスタバ待ち合わせであれば、8:0
0には自分はそこに入っていなければならない。と、思えないようじゃダメで
すよ。
だってその30分でメールチェックするでしょ。状況が変わってるかもしれな
い。朝は電車混んでるから電車や駅のホームではメールチェックできないから
ね。否、みることはできるかもしれないけど返信できないから。
8:00の●●駅のスタバに入るためには、ま駅探とかでルート調べると思う
んだけど7:50に駅着で検索するわね、当然。
で、7:00に家を出発すれば間に合うっていうのであれば、6:55に準備
完了。で起きるの何時、云々かんぬん。。
もっと前からの話すると、その前の日までに資料そろえておかないといけない
とか、本部長のスケジュールおさえるとか、まあいろいろある。
いやいや、ビジネスの話をしたかったんじゃないんだ。。
とにかくね、こういうのをきちっきちっと、実現させていくことのできる人間
は、いわゆる「夢」や目標といったものを実現させる能力が高いよね。当然!
ルーズなヤツは「夢」も目標も実現できねえよ。そんなの当り前じゃん。
とことんルーズなヤツは苦笑するっきゃないんだけど、いわゆる「5分後行動」
するヤツいるじゃん?ビジネスマンで。
こういう輩が、サイテーなのね。高い確率で人を待たせるヤツ。
こういう輩って、人を巻き込んでいくことができない。から、「夢」も目標も
実現できない。なぜなら、信頼が発生しないから。以上、みたいな。
あのさあ、どんな人間にもチャンスはくるわけ。近くまで、ね。
それをつかみとれるかどうか。いわゆる5分後行動のヤツは、チャンスをぱっと
とりにいこうとしても「5分後」だからさ、すでに誰かにとられてしまってるに
決まってんだろ!って話よ。
おせーんだよすべてが、ってこと。
5分前行動している人はぱっとつかもうとしたときに、まだ誰もきてなかったり
するわけ。ラッキー、みたいな。
んでさ、5分後行動のヤツは、10分前(5分+5分)にすでに誰かがチャンスをぱ
っととっていっちゃてるから、気づきすらしないってこともある。
わかりますか?
最後に、これがいちばん大事かもしれないんだけど
5分後行動のヤツってさ、ぱっととりにいこうとするとすでに取られちゃってる
から、「もうちょっとだったのに!」「頑張ってるのに!」って言い出すわけ
。