元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

エンジニアとオサレ(24) 愛されキャラとは(2)

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 私が書き続けてきた「モテる」とは結局、ビジネス・シーンで愛されキャラになることなのかもしれないなあ、という結論に達しました。前回、結論を先に書いてしまいましたが(笑)。

 今回は前回の続きになりますが、若かりし頃「オレに仕事ふるなよゴルァ」オーラを全開にして、現場で身を守っていた(つもりだった)私が、ある日から徐々にそのオーラを弱めていったところ、最初はウザい雑務が死ぬほど入ってきてホントに心からこのギョーカイがイヤになりましたが、やがてウソのように楽になってきたという、そのあたりについて自分の経験を交えながら書きたいと思います。

 また長くなりそうなので(笑)結論を先に書きますと、この話は「愛されキャラ」とつながってきます。その、「ウソのように楽になって」くる頃に、その人は「愛されキャラ」にとても近づいているのです。

 「愛されキャラ」になるかどうかは、現場でなるべく笑顔を絶やさないようにしよう、という強い意志を持つかどうかで決まります。

 私のように笑顔が苦手な人間は、無理して「愛されキャラ」になる必要はないと思います(自分の経験から)。ただし、私は、むっとした顔をし続けるのはやめました。それなら笑顔が苦手な人間でもできます。

 そして、IT業界の大多数の人は笑顔が苦手であると推測していますので、僭越ながら私の手法が参考になると思っています。

 愛されキャラの方ってすごくモテるのでうらやましいのですが、現場でむっとした顔をやめて、かつ誠実に仕事をしていれば少しはモテます(笑)。私はそれぐらいでいいかな、と…

 さて、最初ウザい雑務が入ってきてイヤになるのに、やがてラクになってくる理由のひとつは、あたりまえですが自分が成長するからです。カンタンにいえば生産性が上がるということですね。雑務をこなす過程で自分のペースがわかるようになるのです。

 つまり…

 自分のペースを守るために、むっとして仕事をブロックしていたはずなのに、結局のところむっとしていようがいまいがその現場で仕事はしなければならないわけで。

 以前書いたと思いますが、むっとしてブロックしたとしてもまわりまわって仕事はふってくるわけですから、ふってきた時点ですでにクリティカルになっていることが多いのです。だから最初から、納期に少しでも余裕のある時点で受入れて、自分のペースで仕事したほうが結果的にはすごくラクです。

 と、いうことに気づくわけですね。ああ、最初から受け入れたほうがラクなんだ、と…これも成長です。

 とりあえず受け入れて、複数のタスクが平行して走る中でイヤになって投げ出してしまわずに効率性を考え続け、とりあえずこなすところはこなし(考えながらも手は止めない!)、手順化して他部署にふれるところはふり、打ち返すところは打ち返し…ということを繰り返しながら自身の生産性(イコール「腕」)を上げていく。

 つまり、「けっこうたいへん」な状況じゃないと自分が磨かれないということです。(ここ、重要)

 むっとすることによるブロックを解除して、引き合い(最初は雑務)が増えはじめる状況というのは(ビジネスにおける)「モテはじめ」ということに他なりません。モテはじめの時期は大変な時期なのですがその段階をすまし顔で(内心泣きながら)突破していくとどうなるか?

 現場で尊重されるようになります。(ここも重要)尊重されると、ラクになるんですよね、精神的に。

 そして、尊重されると、ごほうびとして雑務じゃなくて「ちゃんとした」仕事がふってくるようになります。実は、この「ちゃんとした」仕事っていうのは雑務よりも何倍もキツいんですが(笑)。

 周りから尊重され、精神的にラクになり、かつ自身の「腕」も上がってきている状況でふってくる「ちゃんとした」仕事を受けたところからが、さあ、勝負です!

土いじりがそんなにエラいか?

stevengerrard.hatenablog.com突然ですが、僕は脱サラして田舎暮らし、とか、農業へ転身、とか、そういう話に対してかなり懐疑的、批判的であります。

僕は地方出身ですし、祖父は農家でした。祖父の「百姓」としての苦労話について、祖父本人からではなく父親から事あるごとに聞かされてきました。

そういうバックグラウンドがあって、それがイヤで東京に出てきたものです。

また、僕は10年20年というスパンで「機械」、そして「コンピュータ」と仕事で向きあってきたわけですが、そういう立場の人間からすると、「やっぱり人間は土に還るべきだ」といったような論調は、なにさま??という気がします。こんだけ高度資本主義社会で、先進化した文明の豊かさをたっぷりとしゃぶっておいて、最後に言い出すのはそれかよ、と。。

それだったら最初から農業高校行けよ、と。あるいは大学で農学部選べよ、といちゃもんつけたくなりますね。

(あくまで「つけたくなる」だけですので。。)

農業従事者よりシステム・エンジニアは下なのか? といったら決してそうじゃないでしょう。我々はもっと、我々が世の中を便利にしてきたのであり、これからも便利にしてゆくのだ、という気概を持つべきだと思うんですよね。

都会を離れて田舎暮らし、とかそういう人たちの発言ってかなり「上から」なんですよね。下々の人間はまだ都会でアリのように働いてやがるのお、みたいな。。

そして「東京なんか卒業だよ」と。。 結局8割ぐらいは、数年で言い訳しながら東京に舞い戻ってくるのでしょうけどね。

「田舎暮らし」というのはただの、ライフ・スタイルの選択肢のひとつにすぎない。そして農業は起業のひとつの選択肢にすぎません。崇高な意識でもって田舎で新たな生活を確立している人たちもいるのかもしれませんが、他の大部分はただ流行りにのってみただけか、弱肉強食の都会の生活から「逃げ」てきただけです。

農業を自分の仕事にすると考えれば確かに、自分たちのおまんまの一部を自ら生産することができる、というリスクヘッジは魅力的です。(家庭菜園でもできるような気がしないでもないですが。。)そして、田舎というのは都会と比べて少ないお金で暮らしていけるのは事実です。

田舎暮らしや農業を選択する人たちは、高度資本主義の範疇の中でひとつの選択をしているにすぎず、そこから逃れることはできていません。にもかかわらず、自分と家族だけは資本主義の論理から抜け出ているに違いない、と、誤った選民意識を持っている人がとても多いのです。

もちろん、自分たちはどんだけ田舎に逃げても資本主義から逃れることができないのだ、という事実に自覚的な人もいますが、そういう人ほど田舎に暮らすということに「誇り」を持ちたがるんですよねえ。

僕は、であれば、都心のマンションに暮らして週末や休暇のときだけ「リゾート」と割り切って田舎の別荘に暮らす人のほうがよっぽど潔いと思うのです。

子供に機嫌で怒って何が悪いのかっていう話

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前にも書いたと思うけどボクは家で、機嫌で怒ることに決めてるのね。

あ、ちなみに、基本的には怒らないけどね。家ってビジネス・シーンと違って不機嫌の種がそんなに落ちてないから。

子供は生意気だけど、母親(家内)に怒られてるとき以外はだいたい笑ってるから。
俺もつられてにこにこしてると思うよ。


で、

聞いたところではうまく子供に「叱れる」人がいるらしいんだけど俺はゼッタイムリね。

家内なり子供が俺が気に食わないことしたら、怒る。叱るとかじゃなくて怒る。

瞬間的にね。

ということは、だよ、俺の怒り沸騰ポイントが、至極まっとうでなきゃならんのね。
それはいつも、そう思ってる。

我が家のローカルルールでなくって普遍的であるべきだと思ってる。

たとえば。。音だよね。「異質な音」はすごく気にする。

なぜなら、世の中がそうだからだよ。最近騒音にすごくセンシティブになったじゃない世の中が。
昔と違うんだよ。

うちの子らが公の場で「異質な音」をたてて、ヘンに「世の中」から恨みをかったりしないように。


なんというのかな、うちの子らはたぶん、父親は、こういうことしたら怒るんだろうな、というのを、なんとなくわかっている。

それが、ほぼほぼ世の中の常識(良識?)とシンクロしてれば、いいんじゃない、みたいな。
そゆこと。

ルーティンワークをしない人間ほど実はmyルーティンをもってる

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ルーティンワークをしない人間ほど実はmyルーティンをもってる?
つーかプライベートはルーティンに埋め尽くされている?だから仕事ではしないのか?

たとえば自分の健康を維持するためのmyルーティンってさ、絶対にアウトソースできないじゃない。
下請けにランニングさせて自分が健康になる、なんてないじゃん(笑)

フィジカルコーチつけるまではできるけど結局指示されてやるのは自分だからね。
そこには越えられない一線がある。

しかも、だよ、自分のラクしたいという欲求に反して、毎日(ぐらい)続けなきゃならないという。

「ストイック」?ってことなのかな。

人間として高みを目指すほどmyルーティンが増えていく、ような気がする。

「だから」仕事でルーティンワークがイヤになっちゃうのか、あるいは、言い方としてはmyルーティンをしっかりこなしている人間にこそ、ビジネス・シーンでクリエイティビティを発揮する機会がやってくる、ってことなのかな?

んーよくわからんなあ。


myルーティンがびしっとしていて、下層の単調労働してる人間ってたぶん、ほとんどいないんだよね。
スタートがそうであったとしてもいわゆる「出世」して管理職やったりさ。

でさ、やっぱり下層の単調労働してる人間ってプライベートではグダってるよね。ルーティンはほぼほぼしないといってよい。
「だから」その労働に甘んじてるということなのか。

んーその結論でいいのかなあ?ちょっともやもやしてるけど。。

DQNはまわりを幸せにしますか?

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斎藤一人さん(の本)から教わった重要なことはね。。

DQNが一生わからないであろうことは。

商人は儲けるのが仕事。堂々と儲ける。そしてその手段は。
お客さんを喜ばせ、幸せにする。
そういう品を売り、そういう接客をし、ああいい買い物した、と思って帰ってもらい、そしてその製品の品質もよく、リピーターになってくれる。
リピーターになる理由はふたつで、ひとつはまたその店で接客を受けたい。もうひとつは売っている品そのものが良い。

こういう商人になるためには、売ってる品を、自分も愛さなければならないということ。

そしてもうひとつは従業員に喜んでもらう。従業員を幸せにする。
大事なことは、アンタが従業員なのであれば自分が!幸せになり、その波動でもって周りも幸せになる。

ついでいうと、客とか従業員だけじゃなくて「周り」もね。周りってのは自分の家族、従業員の家族、店の周辺、とか。


書き出してみるととてもシンプル。でかつ難しい。
がっぽがっぽ儲けている人間が世の中に少ないというのもうなずける。


それに対して世の中にはびこっているほとんどの凡人、DQNはね、なんというか、帰納法なわけ。

前どっかに書いたけど、店をやるんだったら店舗展開、マスコミの寵児、ちやほやされ、ヒルズ族。オフィスもどっかの最上階。ベンツの脇にいい女を乗せ乗り回す。

それらの手段として「儲ける」がある。手っ取り早く儲けるためにはてどうするか、という考え方になる。

あのね、ちょっと違うんだけど、サラリーマンが会社がイヤだから企業したい、っていうのもベンツだのと同じベクトルにあるんだ。
目的があってそのために企業する。

それがね、肯定されてきた。。?とまではいわないけど帰納法が当然でしょ、ってことになってるわけ。
でも、たとえば斎藤一人さんとその取り巻きは、結果を残してるわけでしょ。(DQNたちからみると悔しいかもしれんがw)

だったら結果残してる連中を参考にせざるを得ないでしょ、もし自分がいま、うまくいってねえんだったら。

具体的には演繹法ね。まず「周り」を「良く」するのが目的なわけ。大げさにいえば「使命」とでもいおうか。
「飾り」は結果的についてくるもんでさ。

みょーにキンキラキンで典型的な夢を追っかけてるDQNは、まったく!「まず」「周り」を「良く」することをしない。
まったくやらない。
あるいはだれかに「やらす」ことを是とする。

なぜならDQNだから。一生そこから、抜けられない。

観光地とかに売ってる通行手形!

stevengerrard.hatenablog.comあの。。「通行手形」ね!
観光地とかさ、高速のPAとかに売ってるヤツ!

ガキの頃さ、母親が、何の気なしにアレを集め始めたわけよ。
そしたら。。増えること増えること!

半分以上、いや7割ぐらいはもらいもん。だって、出かけないじゃんそんな。いろんなところに。

近隣とかね、親戚とか。
あの家の土産は通行手形買っときゃいいだろ、って空気に、なっていくんだよねえ。。そういうウワサがひろまっていって。。あっという間。
しかもさ、うちの母親も、もらうと喜ぶしね。

似たようなケースでさ、近所の家は、「こけし」だらけだったよ。たぶんあの家のこけしも、半分以上はもらいもんだったんじゃないかと推測する。


でね、話変わるけどみうらじゅんさんがハゲしいディランコレクターというのは、いちおう芸能人だから知られています、と。すると、もう年寄りのコレクターがさ、「寄進」するわけね。
とんでもなく集まってくるんだよ。「あいつなら、大切にしてくれる」っていう信頼(これも「空気」)がね、みうらさんの言動(ディラン愛)から醸成されていくんだろうねえ。

たぶんね、お年寄りのコレクションだからかなりのお宝が、みうらさんのとこに流れ込んだと思うよ。

この話も、「集まる」の話だけど。。

とにかくね、集まってくるんだよ最終的には。勢いがつくとね、どんどん集まってくる。
コレクターアイテムってのはけっきょく寂しがりやなんでしょw
集める人がいるアイテムってのは寂しがりやなんだと思うよ。

でね、この話をお金に応用させるにはどうしたらよいかって、オレも考えてるし、むっちゃたくさんの世界中の人間が、考えてるわけね。

モノはけっこう集まってくるんだけど、同じようにおカネが集まってくるようにするにはどうしたらいいか?ってね。

でもね、上述したふたつの話を総合すると、当たり前の結論として、
・(おカネを)集めはじめないとダメ
・けっこう集めると加速度をつけて増える

ということで。。何もないところでは何も生まれないんだ。まずは「集めるぞ!」と強く願い、実践し、その姿勢をまわりに見せることなんだよな。

これは重要な結論ですぞ。

変わっていかないとダメなんだよねー

stevengerrard.hatenablog.com人間ってのは、変わっていかないとダメなんだよねー、ってのは常々実感しているところ。

で、そのためにオレがとっている手法は、生活習慣を、カンタンに増やしていく。1日1分~数分ぐらいの。
これはいいかも、と思ったらすぐやってみる。

そうするとどうしてもこぼれていくものがある。続けてはいるんだけどどうも納得感がないな、とか、
やろうとするとほんのすこしだけ気が重くなるような習慣とか。

もちろん、こないだ増やしたばかりの習慣をね、あ、こりゃダメかも、ってすぐ手放すことも多いけどね。
(やりはじめた手前、2週間ぐらいは続けるけども)

こうやって生活習慣の新陳代謝をつくっていくことすらも生活習慣だよな。


我ながら、変わっていくってのはこういうことなんじゃないかと思う。
必ずしも劇的は求められてない。