元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

DQNはまわりを幸せにしますか?

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斎藤一人さん(の本)から教わった重要なことはね。。

DQNが一生わからないであろうことは。

商人は儲けるのが仕事。堂々と儲ける。そしてその手段は。
お客さんを喜ばせ、幸せにする。
そういう品を売り、そういう接客をし、ああいい買い物した、と思って帰ってもらい、そしてその製品の品質もよく、リピーターになってくれる。
リピーターになる理由はふたつで、ひとつはまたその店で接客を受けたい。もうひとつは売っている品そのものが良い。

こういう商人になるためには、売ってる品を、自分も愛さなければならないということ。

そしてもうひとつは従業員に喜んでもらう。従業員を幸せにする。
大事なことは、アンタが従業員なのであれば自分が!幸せになり、その波動でもって周りも幸せになる。

ついでいうと、客とか従業員だけじゃなくて「周り」もね。周りってのは自分の家族、従業員の家族、店の周辺、とか。


書き出してみるととてもシンプル。でかつ難しい。
がっぽがっぽ儲けている人間が世の中に少ないというのもうなずける。


それに対して世の中にはびこっているほとんどの凡人、DQNはね、なんというか、帰納法なわけ。

前どっかに書いたけど、店をやるんだったら店舗展開、マスコミの寵児、ちやほやされ、ヒルズ族。オフィスもどっかの最上階。ベンツの脇にいい女を乗せ乗り回す。

それらの手段として「儲ける」がある。手っ取り早く儲けるためにはてどうするか、という考え方になる。

あのね、ちょっと違うんだけど、サラリーマンが会社がイヤだから企業したい、っていうのもベンツだのと同じベクトルにあるんだ。
目的があってそのために企業する。

それがね、肯定されてきた。。?とまではいわないけど帰納法が当然でしょ、ってことになってるわけ。
でも、たとえば斎藤一人さんとその取り巻きは、結果を残してるわけでしょ。(DQNたちからみると悔しいかもしれんがw)

だったら結果残してる連中を参考にせざるを得ないでしょ、もし自分がいま、うまくいってねえんだったら。

具体的には演繹法ね。まず「周り」を「良く」するのが目的なわけ。大げさにいえば「使命」とでもいおうか。
「飾り」は結果的についてくるもんでさ。

みょーにキンキラキンで典型的な夢を追っかけてるDQNは、まったく!「まず」「周り」を「良く」することをしない。
まったくやらない。
あるいはだれかに「やらす」ことを是とする。

なぜならDQNだから。一生そこから、抜けられない。