お金(お札)は紙切れでしょ?(1)
お金(お札)は紙切れでしょ?(1)
先日、郵便局で80円切手を10枚買ったんだよね。でもさ、その切手をみればみるほど、ただの紙切れのようにしかみえない。
切手っつーものをじっくりながめたのは、初めてかもしんない。
でも、消印のついてない切手を、ぞんざいにくしゃくしゃにしてゴミ箱に捨てるヤツはほとんどいないだろ。
物理的にはホントに、ただの紙切れに違いないのに。
でもなぜ捨てないかって、それが80円の価値があるってことを、おおよその日本人は知ってるからだ。
切手ってのはまれにもらうこともあるけどふつうは買うもんだ。金券ショップでは80円切手を79円ぐらいで売ってるけど。。そんなん、ただの誤差だよ。1円安く買えたからって、そんなに嬉しいかよ? っていうか。。
ところで、オイラは切手をカネで買ったけど、そのカネっつーのも、ただの紙切れでしょ? 物理的にはさ。
でも、切手と同様に、これをくしゃくしゃにしてゴミ箱に捨てるヤツはいないだろ。そんなことできるヤツが存在する確率は、切手より低くなるだろ。
でもね、カネをくしゃくしゃにするヤツは、オイラの身近にいる。
それはウチの末っ子(赤ちゃん)。
赤ん坊はムテキでしょ。カネをくしゃくしゃにして食べようとするんだから。
カネを食べてしまおうとする人間(赤ん坊だってオイラたちと同じ人間だ)に対して「コイツ無敵だな。。」と思ってしまうのはなぜか?
⇒この「なぜか?」は、この議論で後から効いてくるんだ
オイラは切手をカネで買ったけど、オイラはそのカネを何で(どうやって)買ったんだろか?
(このへんから、少しずつムズカしくなってくるかも!)
一般的回答としては、カネという紙切れを「労働」によりゲットしたんだろうと思うよ。
でもさ、オイラは、働いて万札っていう紙切れをゲットしたんじゃねーよ。
つまり、物理的には、(エントロピーの法則的には)何も変わっていない。ただし、銀行口座の残高(というデジタル情報)の数値が、若干変化しただけだ。
この数値というものがかなりクセモノでさ。。
これは、結局「信頼度」をあらわしてるわけだよな。
オイラはね、ホントは、あの「紙切れ」のほうがほしいんだよね。今すぐ。手元に。
口座の「数値」がぴっと変化した瞬間に全額引き落として、その足ですぐ六本木のキャバクラいって札束でキャバ嬢のほっぺたひっぱたくとかさ。。
物理的な、紙切れっていう「証」がほしいんだよな、常に。
でもさ、オイラここ数年ばかし、ぴらぴらの札がほんのわずかばかり財布に入ってたりするけど、「札束」を物理的にゲットしたことなんてないぜ。
フシギだよなあ! 労働してるのに。
いわゆる「給料日」になると、オイラの銀行口座の数値がぴっと上がる。んだけど、それからさあ、年金だの保険だの、電気だのガスだの電話だの家賃だの。。
どんどんどんどん、数値が変わってゆきやがる。
別にオイラから物理的にカネをぶんどってゆくわけじゃない。
ただただ、銀行口座の残高が変化してゆくだけだ。
で、どんどん「数値」が小さくなってゆき、結局オイラが自由に使える(デジタルの「数値」を「札」に変換できる)額は、ごくごくわずかになる。
いや、はっきりいうけど、「ない」といってよい。
(生活費は奥さんに渡しちゃうからね!)
これはいったい、なぜなんだ?