元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

声高にいわなければならないのでしょうか?

僕はホントに、やること、やらなきゃいけないことがたくさんあるので、「いいオトナ」に対して
「ゲームなんてやってるヒマはこれっぽっちもないんです!」
なんて、声高にはいいません。
言う必要もないのです。角が立つし、それに、そもそも余計なお世話なのです。

ですので、「悪いけど先進ませてもらいます」って感じなのですね。
「先」というのは「テクノロジー」の先じゃないのです。テクノロジーの先(つまり、「センタン」の未来といいますか。。)はホントの先ではないのです。

でも、いつか声高にいわなければならない。。のでしょうか?
ひっそり「お先に!」ではダメなのでしょうか。
なんて、考えてみたりします。


僕が自信をもっていえるのは、僕はほとんど「よけいなことをしていない」。ここ10年以上。
たとえば、いいオトナがやるゲームのような「時間つぶし」をほとんどしたことがないわけです。
ムダなテレビ視聴とかパチンコとか、意味のない付き合いの飲みとか。。

ということは、たぶん、その浮いた時間は自分のために使っている、に、違いない(と思います。。)。
必然的にそうなるわけです。なにせ、いつも「時間がもったいない」と思ってるわけですからね。


ただ。。
僕が使っている時間の「時間割」をね、他人がみたら、もんのすごい「ムダ」にみえるのかもしれません。

たとえば僕の場合朝、コドモの朝食の準備したり。。洗濯物を干したりとか。本来ならば「専業主婦」がやるべきこともどんどん巻きとってやってるわけで。
それは、他人にとってムダっちゃムダなのかもしれません。
でもいいオトナがゲームで時間を浪費するよりよいのではないかと思います。身体を動かしてるわけですしね。

日本が豊かになりすぎた結果として、いい年した「アラフォー」世代が、時間をもてあまして時間を浪費して。。
これじゃあ日本の再興はないよなあ、なんて思ったりもします。